良書について思う所あり

なんですけれど、ある文章を見て「いまんとこ、これ以外の考えが思いつかない」というものがみつかったので、それを転記しておくお薬64日目。 注意書きは私。

「『アマチャ・ズルチャ』(注:深堀骨・作)の感想を書いた後、ネットのその他書評を漁っていて見つけた作品。(注:白熊座の乙女は真夏の夜にここぞとばかり舌を鳴らす
無料公開ですが、これを読んでもおそらく貴方の人生になんら発展的な影響が与えられることはないでしょう。
強いて言えば今後“西爪”という苗字の人を見かけたときに笑うようになる程度でしょうが、それは明らかにマイナスの影響ですね。
いやまったく“読書は人の心を豊かにする”などとのたまう輩に読ませてやりたい一品であります。だがそうすると奴らは必ず“下らない本では駄目だ。いい本を読まないと人間性は成長しない”などと言い出すのです。いったい奴らは下る下らないをどうやって見分けろというのか。読んでみないうちに下らないと断定することはお釈迦様だって許されぬはずであり(だって読んでないんだから)、そうすると結果的に下らない本を読んでしまうことは不可避なわけで、奴らはそれを無駄だと言うのか。そもそも下る下らぬは栄枯盛衰、水木しげる紫綬褒章を受けるがごとく世の価値観は移り変わるものであります。ならばある時点においてある本が下るか下らないかを誰が保証してくれるのか。奴らに本を渡せば先に読んで下る下らないを判定してくれるのか。しかしそれじゃあ待っている間われわれは何の本を読めばいいというのだ。」
インターネット殺人事件より

引用自由なのをここぞとばかり利用してみました。
朧げながら思うに、「良書」という考え方が何より問題なんじゃないでしょうか。