熱あての2 ブ熊ヘイト

 並べておきながらあんま関係ない話なんですけれど、私ってそんなにBUKUMAってほしいのか、と言われたら「別になぁ」なんですよ。まあ、貼られる事なんて無いんであんまり気にしないってのはありますけれど。
 と言いながら、最近は張られた奴はちょいといじくってたりして、すぐにはたどれなくしてます。まあブ熊から直じゃなくて、ショートカットのコピーとかしてこられれば、気づかないで変えない程度の意味無い行為なんですけれど、なんかこう、駆り立てる物があるんですよ。
 なにが、といわれると困るんですが、なんというか、してもらってもぜんぜん鬱陶しいんですよカトンボが! という程気にしているかと言うとどうかなぁ。でもなんか、鬱陶しいんですよ。
 うーん。これは、こられる事より、周りがブ熊がどうのこうの言うのが、「何いってんやろ」みたいな具合で見聞きしててすわりが悪いという方がいいのかもしれない。
 詰まる所、「そんなに貼られたいのかなぁ」というのが疑問としてあって、自分は全くそういうのに無関心、というかちょっと前にブ熊はほぼ封印しようと決心する(同時に言葉について考える)事件があったので、お気に入りとかに自分のブ熊のショートカットを入れてなかったりするから、全く使えない。畢竟、他人のお気に入りとかも見ないし、基本の行為としてブ熊をみるという選択肢がない。だから気にしない。例外処理としてxx-internet師範代のブ熊や他人のアンテナをアンテナに入れてたりする。
 うむぅ。ここか? 自分はたくさんの他人がブ熊したのに興味がないのか? そういうのではなく出来るだけ自分の手で見るのが楽しいと感じるのか? 特に、あんまり他人の感想読まないからなぁ。なかなか、「面白いなぁ」という形に出会えないと言うか。まあ、怠惰のせいではあるけれど、自分の感想さえあれば、実際そんなに困らない、と思っているし。他人の感想は、どこまでいっても他人の感想で、こちらをはっとさせてくれる場合がまずない。まあ自分もだけれど。
 余談だけれど、他人に届く、というのは実際あっても極めて少ないだろうと考えている。届くのは他人としても“近い”と感じている人だけではなかろうか、とも。その上で、本を読む事で何かしかえられるのは自分だけで他人には全く影響は無くまた自分がそう思う効果も他人には違う影響としてでるのではないかなので批評というのも親しくない人がしても効果がないとも思うんだけれどこれは長いな。これはまた加工して書こう。
 えーと。
 大体、感想読んでる暇があったら本読む方がいいし。みんなが読む書評を読んでいる間があったら、自分の評を自分の為にこしらえた方がいいとも。所詮他人の感動、とはよくいったもの。感動ポイントがずれるなんて、よくあること。
 あー、そうか。人によってはブ熊で辿れなくなることがあるから、たとえば元長辞典の人の日記とか、林さんとか、古KABUの人とかが残したりしないから、ブ熊をまるで信用してないんだ。全然違う所から気がついた。
 「なんで使うんだ?」というのが「なんで信用してるんだ?」からきていたんだな。皆一つのシステムに頼りすぎって思うわけだ。そりゃそうか。はて ながなくなったら、まあ違う形にはなって存続はするだろうけれど、今あるのが残ると思ってんのか? というわけか。
 えーと、まとめ。
 形あるもの全て壊れる。システムもまた然り。
 そういうことか。
<追>人のつながり? 100年もたないけれど? まあそれくらいありゃ十分かもしれんけど。