死ぬる

 風邪続行中。ワーキング休みましたの。のどいたーい。はなづまりー。ワーキングよりワーキングいくまでの坂に耐えられないと判断。休みましたの。
 ぬくくして本読んだり。うむ。こういう時は本が進むなー。
 ネットは少し。ぬくくしてみてみたり。諸事情も少し。これは……間に合わない。と腹をくくるが、今は回復が優先。
 なのでもう寝るる。明日はワーキング行けたらいいな。

それからどした

 モテとか非モテとか、結局自分がモテる可能性があると考えているのが不思議である。そんな可能性が、自分にあると本当に思っているのか? とか。そういう要素を増やせ、とかではなく、そも、自分にそういうお鉢が回ってくるという妄想をどうにかしないといけないのではないか。とか。
 自分はどうかといわれると完全に「モテるわけがない」という位置づけ。ありえません。
 だらら。

それからどした

 感想書きの事でひとくさり思う。自分は溜まるものは溜まるけれど、普通はそんなに吐き出さないといけないような言の葉が、自分のうちに溜まるものなのだろうか? なにも、これはこうだこうだこうだ、と語る必要性はないんだと思う。自分の中に理解としてそれらが落ちてくれば、後は他人に語ることでもないような。他人に話さなくてもいいそれを、他人に話すということは、一体どういうことなのだろうか? 示威行為? 共感を、シンパを得たい? 評判をあげたい? 貶めたい? それとも、なんだか言いたくて仕方ない? どうなんだろうか。
 で、私の中では感想が溜まる、という事態が、なんだかよく分からなくなってきてもいる。なにがなんでも今すぐ吐き出さなければならない理由は無いし。後から、他に読んだものあった事ををつらつらからめて書いてもいいはずだし。それに、感想を書くために読むわけでも無いし。
 俺はどうなのか、と言われれば、これといってコンテンツのないわしには、感想を書くくらいしか自分の家を飾る術がない、という気もするし、その時の気分思考状態を残す為に書いている部分もある。なんだかツラツラ書きたいということもある。そういう風に書いているような。そんな感じでいいのかも。せかされる必要も無いし、せく必要も無い、というか。
 だからどうした。