酷評無用 熱あての三

 酷評は大体3つの点で使えない。

  • 壱:読まれない
    • まず最大で一回、場合によっては途中までしか読まれない。嫌な事が書かれているものを、好き好んで何度も見ないから。
  • 弐:記憶しない
    • ただでさえ読まない→記憶できない上に、人間は嫌な事はすぐ忘れるようにできているので余計忘れられる。
  • 三:ゆえに効果がでない
    • 見も去れず、記憶にも残らない物が、効果を出せるだろうか。
    • そういうのを何度も書いたとしたら、そもそも読まれる事可能性すらなくなってしまうし。

 単純に効果を考えるならば、つまり「この人の作品が二度と見たくない」と考えるならば、一番手っ取り早いのは「その作品、作者自体が存在しないように(無視するように)、全ての人が振舞う」という事しかないだろうと思う。そうすれば、すぐにその人はいない事になる。このままでは不可能ではあるけれど、近い事はできるのではないか。
 もうちょっと現実的な方法では、100枚ほどはがきを用意し、100人分の住所と名前を偽造なり騙りなりして、「つまらなかった」のはがきを100人分でっち上がるのが良いかもしれない。これは作者に対して、ではなくむしろ編集者に対して「これは面白くなかったんだ」という認識を与える方法で、作者を攻撃するよりよっぽど効果があると思う。
 
 余談。上記の理由から、最近話題らしい献本の話で、一番問題なのは「酷評できない」ではなく「無視できない」であると思う。悪評も評、という事。悪評であっても気になる人はいるから、逆効果にすらなるかもしれない。
 それなら献本に参加した人達とぐるになって、そんな話なんてなかったようにログ改ざんしたりした方がはるかに効果がある。もちろん机上論ですよ。