新聞欄みてあれほど目を疑ったのも久しぶり。昨日の神田川VS下町の玉三郎といい、テレビ業界に、今何が起こっているのでしょうか。と疑問ふり。
とかなんとかいいながら、仮眠しつつアニメを見る。妙にかみちゅ!っぽい絵のロボアニメは仮眠のしすぎで見逃す。ちょろっとだけ見たけど、それって……Gガンダム? と思ってしまう。
こういう時に「それって何々?」と思い出されるものは、やっぱり強いんだろうな。インパクトとか偉大さとか。まったく関係ないが、あれのせいで未だにオランダというと風車ガンダムが頭をよぎるんだよなぁ…。
さておき。
なんとか「ながされて藍蘭島」は見れた。導入の「瀬戸の花嫁」と近しさっぷり以外は、取り立てて濃くも無く薄くも無く。中庸、というとまた違うんだけれど「瀬戸」のかびすましさと比べるとかなり安心して見れる。比較対象が間違ってる気もするが、まあいいか。
ふと、「らきすた」/「藍蘭」/「瀬戸」が各々、「前衛」/「標準」,/「ベタ」と割り振れるのではないかとか考えるが、違う気がする。違う気もする。らきすた見てない&原作未読だし。
しかし、オープニングの評価ならこれでいいんじゃないか、とも思う。「瀬戸」なんかいつの時代のグループサウンズですか、てな案配だし、「らきすた」はあれだし、「藍蘭」は非常に真っ当だものな。
さておき。
「アリフレロ」読み終わる。曰く言いがたい。なんとなく書きたいという意思と複数の意味で書けうるものが、せめぎあっている印象。何と戦っているのかいまいち判然としないのは、いつも通り。
次は「1934完結編」と見せかけて「ヒドラ-HYDRA-」を読み始める。今日はすいすい読める日だこと。不思議ー。
とかなんとか。
少し前から知ってはいたものの、やはり公式的に訃報が出されると、こうじんわりとくるものがある。名前は覚えていてもあまり読んではいなかったけれど、その濃さと言うかくどさというかくどさというかくどさによって、少し読めばすぐ分かる字義的な意味でユニークな作家さんだった。惜しい。供養、と言うと少しニュアンスが違うな、えと自分が今後二度と見れなくなったものを確認する為に、一つ二つ買っておこうか。
南無。