エロゲ絵の上手い下手について、ひとくさり

 むみゃー。始まりがどこだったか思いだせん。こういう時の為にブクマ使うのが普通なんだろうけれど、最近はどうも使い忘れる。あー。
 さておき。
 エロゲの絵に上手下手の尺度をはめ当てる、というのは可不可で言えば可な行為だと思うけれど、なんだか割り切れない部分がある気も、またする。なんとなく特ソンを聞いているので、それに絡めて考える。推奨BGM(注:ニコニコ且つ、二時間越え、尚且つ、マイナー)
 んと。特ソンで上手い下手、というのは当然あるが*1、そも特撮の主題歌等でのいわゆる神曲はその曲の出来、歌の上手さ、音楽的正しさ以上に、その曲によって高揚する/しっとりする*2かが焦点にある。なので、高揚しない/しっとりしない曲よりは、高揚/しっとりする曲が良い、となる。まあ、上手い歌、音楽として正しいの方が高揚する、というのはあるかもしれないが。
んで、上手い下手、いや正しい正しくないの軸以外の軸の方が重要度が高い場合、正しい正しくない軸で語られると、それは正しいと思う反面、嫌な感じがある。 あ…? あ…? なぜだ? 何故嫌な感じがする? ←どこ見てるんだ半可通、そこでみるのと違うやろ、という気持ちなんじゃないんですかね。←そんなもんかな。
他の例だと、ゲーム曲や電波ソングで顕著ですよね、正しい正しくないは関係ない、というのは。間違ってるが、だからどうした間違って何が悪い。間違っていたら神曲じゃないのか? という立ち位置。
 これを変換すれば、絵画的に正しいことと、その絵を楽しむ/親しむこととは必ずしも軌を一にすることではないのかもしれない、という考えが浮かぶ。
間違い、下手、いいじゃないか、ということなのだろうか。それでいいのか? いいんじゃないか、とは自分がそういう見方をするから思ってしまう。他の視点はもてないから、どうしても。ああ、「恐怖の町」はいい歌です。えすあーるあーいえすあーるあーい。←関係ないよ。←そうですね。
 さておき。
 よく考えると、こういう音楽的正しさとか絵画的正しさとかが出てくるというのは、ただ楽しむ方向から、そういう視点を持つに至った、という解釈もなせるのではないかしらん? そういう目を持って見る人が出てくるようになったということなのか? つまり、ジャンル的に間口が広がった、ということなのかもしれない。それ自体はいいことのうちに入る感じではあるなあ。
で、その目がある人には、どうにもそういう良くない点が気になるようになってしまう、ということなのかもしれない。その辺に至った場合、どうしたらいいのだろうか?
 バカになれ? そのままでいろ? もっと先鋭になれ?
 まあ、言うのは簡単だよなあ。どうするかは自分で決めるのがベターなんじゃないか、とは思うけど、それもまた他人だから言ってしまえることだろうし。
 とかなんとか。

*1:ささきいさお倉田てつをを同列に扱うのはあきらかに違う

*2:始まりは高揚方向、終わりはしっとり方向が多い