出る時に出てくることが保護者である理由でもある、と思う。

 リアルについて、一くさり妄想してみた。簡単に考えると、自分が見ている聞いている感じている、すなわち感覚器で感知しているのが、そのままリアルというものになりそうである。そうなるとリアルの範囲はかなり狭くなる。自分の感じている部分意外虚構でした、というお話がたまにあるのも、こうした狭さから、実際にある世界への疑問視、そんなに広いのか本当にというのが影響しているんだと、思ってみる。
 それと、感知できる=リアルだとしたら、思ったことはリアルなのだろうか? 頭の中に浮かぶ思考は、リアルのなのだろうか? 考えているものは感覚器では感知できているのか、あるいはいないのか。謎である。
 しかし、自分の考えている事はリアルである。いや、あろう、というべきか。自分の頭の中には、確かに存在するのが思考と言うものである。いやでも? 混乱してきた。見も聞きも触れもしないものが、リアルとして存在するのか、というのは結構難題かもしれない。だが、見たもの聞いたものは、頭の中で処理される。となると、最終的に頭の中に入った物はリアル? いや、それではいわゆるリアルではない虚構物まで一緒くたにリアルになる。実際、虚構物もある意味では存在する=リアルであるのではないか、とか考えているのだが、やはりいきなりリアル認定は危険だろう。
 うーん。リアルと現実が混同している気がしてきた。でも、リアルも大体の場合現実とイコールと捉えられるよなあ。その現実が、虚構つまりアンリアルとどう違うのか、という辺りがよくわからなくなってきた! 今日はこれくらいにしよう。
 昨日の反動で昼まで寝ていたりする。おおおおおお。映画行きたかったのに……。まあもうあれはDVDオチまで待とう。と、精神衛生上の対処をする。おおおおおおお。←対処しきれてねえ
 電コマの感想を下記に書き。毎回だらだら書き過ぎだが、量が結構あるので、あんまり気を詰めても書けない。だららららららー。
 とかなんとか。