もういっそ、ライトノベルなくなってもいいんじゃね?

 危機論から派生して、そういう暴論を思いついたんですが、まあ暴論です。終わる終わる詐欺するくらいならいっそ、いっそ「しなばもろともー!」って言った方が早い気がしてきたんですよ。というかなー、この世に終わらないものがあるとか思ってる節のあるやつらのなー(以下無駄に愚痴)、隆慶だって書いてるでしょ、「滅びた物は美しい。滅び去るものは無残でしょう」って「一夢庵風流記」で。けだし名言じゃないですか。危機とかいうやつは皆まとめてライトノベルが無残に滅びる様を見て慟哭すればいいんですよ。どうせ慟哭なんかしないんだろうけどな! それにしても隆慶はかんけねーだろ隆慶は! だいたい(以下無駄に愚痴)! 皆どうせ沈む船から逃げる鼠のように速攻で潮引いていくんだろう! 俺だってそうする!(以下略)!
 筆がだるんだるんに滑りました。もう寝よう。
 寝た。一瞬寝落ちした。
 さておき。
 先鋭化ってもなあ。といつもそういうタイプの話を聞くと思うわけですよ。先鋭してるんがジャンル、つまり作り手側からなのか、それとも単に趣味の先鋭化、つまりユーザー側から先鋭してるだけなのか、と言う辺りは精査されるべきだよなー、とか。
 ジャンルが先鋭化して細った例を挙げる場合、シューティングとか格ゲーとかがその例として正しく挙げられるべき物ですが、それらの場合は短時間で回転させて客に金を吐かせるというアーケード特有の金銭事情が深く絡んでいて、つまりシューティングなら「客のレベルが上がる→初見でもわりと長時間プレイ→短時間で終わらす為に難しく→客のレベルが上がる」のループで難度が鰻登りに、格ゲーなら「駆け引きレベルに到達する→究極するとだいたいすることが同じになるので飽きる→コンボやなにやらやれる事を増やす→でも駆け引きレベルに到達する」のループでやれる事が鰻登りに、ということになり、初心者に手が出せない形になった、というのがあって、これならジャンルの先鋭化、つまり作り手側からの先鋭化というのが明確であるとは思うのです。*1 *2 *3
 で、ライトノベルが先鋭化、というのはどうなのかというと、物自体は色々と出ているし、話自体も多種多様、やってることも無理難題、という状態ではないかと。売れているのが似たような傾向、というより、似ているから売れているんだと思うんですよ。似たようなのを違う意匠で、というか。
 その辺を更に突き詰めていくと、そろそろ同じじゃない、自分の好みを考えるようになって、最終的にどんどん自分の趣味が先鋭化するんではないかと。それで、自分は他人とは違うぜヒャッハー! というおりじんを得ていく段階なのかしら、とか。
 で、ジャンルと自分の趣味とで先鋭化してるのが違うとどうなるか、という話になるわけですが、ジャンルの先鋭化はわりと対処しようが無いのですが、自分の趣味なら自省することでわりとどうにかなる、というのがあるのではないかと。自省する必要が無い、という説もあるので後者もわりとどうにもならないかもしれないですが、皆が読んでる→すっぱい! をしないようにするという風にしていけば、わりとどうにか、どうにか?
 結論? そうねえ、自分の趣味を固めすぎないようにするのも、オタだよね、ってことで。

*1:初心者を取り込もう、という意欲が全く無かったわけではない、むしろそっちも意欲的だったりするけれども、パラダイムシフトが起きないとなかなか上手くいかないし、起きても一瞬で元の木阿弥になったりする。商売の形から変えないと無理なのかしらとすら思う

*2:どちらのジャンルも一時期非常に多様な物があった、というのは忘れてはならないとか思う。そういう多様さが結局はある一定の流れのみに収斂してしまう、という辺りも

*3:良く考えると誰も格ゲーとかをジャンルの先鋭の例に挙げてませんね。でも感じ感じ