感想 石川博品 『耳刈ネルリと奪われた七人の花婿』

耳刈ネルリと奪われた七人の花婿 (ファミ通文庫)

耳刈ネルリと奪われた七人の花婿 (ファミ通文庫)

 内容を要約すると、「耳刈ネルリの伝説が、今始まる!」と、ミンサガの吟遊詩人さんノリで言ってみる。大ネルリこと耳刈ネルリの伝記(というか伝奇)を基にした劇をしたのが今回の内容で、この言い方で間違いないでござる。基にしたのをちゃんと二種類作るという細やかさが、さすがというかなんというかです。こういう所がちゃんとしてるのが「ネルリ」の実は良い所。実はって言わないといけないくらい、レイチ君何言ってんのが基本の小説ですが。
 その劇はなかなか面白そうでありまして、ちょっとばかり実際にその劇場の息遣いを実際に味わいたいと思うことしきりでしたが、これはフィクション。だからそれは脳内で済ませろ、と脳の人が言うのでそれにしたがって、脳内で済ませてみました。事実は小説より奇なり、とは人口に膾炙ですが、それは単に脳内で事実以上の捏造が出来てないだけではないか、とこの劇を脳内でめくるめいていた時に思いつきましたが、まあ些事です。後、ミュージカルなので歌が挿入されるんですが、それが深堀骨「アマチャ・ズルチャ」収録の「闇鍋奉行」の鍋奉行のテーマを勝手に脳内が彷彿として、脳内がえらい騒ぎでした。まさか生きているうちに、突然突拍子も無く歌い始める小説を二度も見ることができるとは思わないですよ。吃驚驚嘆。
 さておき見所。

フフ……『水底を這うもの』(ネガティブ・クリープ)とでもいっておきましょうか。

 今回もレイチ君がてきとーに語りかけます。てきとーに愚言を弄すので、場が収まらないどころか変な方向に紛糾して引くに引けない状況に。それでも愚言を弄すのがレイチ君の仕事なので仕方ないであります。でも今回は前回である「万歳万歳万々歳」ほど終始愚言を言い続けて、それが迷彩になって話の起伏があるはずなのにまったくそれを感じさせずにだらー、話が流れるという、ある種奇跡的なことは無く、きっちりと話が起伏してたまにレイチ君が愚言を弄す、ある種フレーバー感覚な流れで進んでいくんですが、それは前回があまりに起伏が無かった反省なのか、それとも、「あれは制御できるんだぜ?」という石川博品のニヤリピクリキラーンなのかは、後半をお楽しみに。ということでニヤリピクリキラーンだと思って楽しみにしていたら、後半でもそれほど使わなかったり。でも起伏的にシリアスに振れる瞬間に今回もまたレイチの愚言による迷彩が掛かって、「あれ、これってシリアスな場面じゃないの?」みたいなきょとん顔をさせられます。これぞネルリズム! と帯に書いてあった愚言を使って感嘆してみる。ネルリズムってなんなんでしょうね。言うに事欠いてネルリズムは無いだろう、と憤懣やるかたないですが、それだけ特異なものという見方をファミ通文庫編集部もしている、という事実だけをきっちりと受け止めて生きていたいところです。
 キャラ的な物の見方で話すと、カラー口絵のワジが可愛いのでどうにかしてしまったな、俺ん脳。