感想 小島秀夫 『僕が愛したMEMEたち』

小島秀夫の愛したMEMEたち

 一見しては本紹介の呈のあるこの本の実際の内容、というのは単純に申せば小島監督のMEME語りであります。いきなり出てきたMEMEってなんぞや? と言う疑問に対する答えは、実はこの本では特に詳しい解説などはありません。大体の内容として、次代に思想や考え方、あるいは意味を読み取る為の物としての『物語』、その内容から読み取れ、受け継がれる物、というくらいの提示のされ方であります。ここで特に定義論争めいた方向に進まないので、そういう物が読みたいという人には、入りにくいかもしれません。しかし、この本の持つ魅力というのは、単に紹介される本の魅力だけで成り立っておらず、その語り口が既にMEMEである、とすら言えるみょうちきりんながらしっかりとした足腰によって成立しております。小島監督が語るその作品に対する相対し方、その本に対する姿勢、その内容に対する小島監督の思い出。それらが渾然一体となって、この本の雰囲気を、あるいはMEMEを形成しており、それが大変楽しい本となっております。

全体の構成などについて

 この本は基本的に様相が三つありまして、一つ目がダ・ヴィンチ連載だった表題『僕が愛したMEMEたち』、二つ目がpapyrus掲載『ある日、どこかで、好きだったこと』、そして三つ目がダ・ヴィンチでの対談となっています。

ここにはある「物語」しかない。しかし、その中にMEMEが隠されている。

 一つ目は2010年辺りからの連載の集合体。この本の半分を形成しており、まさしくメイン。テーマも自分の本との遭遇談や紹介を重視しつつも、そこにMEMEがどう絡まってくるのか、というのを見ていける内容です。基本的に5Pの中に、それらを入れるという仕事に対して、かなりしっかりと色んな色味を出そうとしているのが分かる内容の多彩さであります。

空想科学小説、幻想小説メタフィクション等をひっくるめた「未知なる物語」の総称、それが「ボクらのSF」だったのだ。
(P.23)

 二つ目はそれよりちょっと前、2008年頃の物。一つ目と比べて雑多な感じというか、本以外を結構取り揃えているのと、この連載時は一つ目よりはMEMEが主題ではないけど、MEMEは既に意識下にあるのでたまにぽろっと出る、というので、一つ目より軸足の違う話が多くあったりするのが、目先が変わっていいものでした。

しかも、当時の彼らは映画解説者だった。映画評論家とは違う。肩書きがそうであったとしても、洋画劇場の時の彼らはあくまでも解説者だった。
(P.190)

 三つ目の対談は全体的に短く、趣としては良くある対談物であり、MEMEというお題目もあるものの、基本お互いを褒める展開しかないので前二つよりはガツンと来る物は少ないですが、花澤健吾さんとの対談は中々でした。『アイアムアヒーロー』買いに走るくらいには、ね。それと長谷敏司さんのは長谷さんが終始おどおどしている雰囲気というか、呑まれてるのが誌面の上からでも見て取れるので、これもある意味オススメの出来です。

小島「長谷さんはMEMEをどう捉えていますか?」
長谷「監督作品に触れて、MEMEとは何かを不覚考えさせられました。僕なりの解釈では『MGS3』でのMEMEは「しぐさ」でしょうか。」
(P.314)

MEMEを受け取るとは、あるいは受け取らせるとは

 この本で、大きく「我々が」と出ますが、我々が注目すべき点は大変多いです。それは単に本の紹介というだけではなく、MEMEの紹介という側面を持つからな訳ですが、それ以外に5Pの中にそれらを叩き込む過程で生まれたであろう、何気ない一文でもはっと考えさせられる部分というのが多いのもまた、瞠目に値する所です。あるいは、個々人の問題意識にするっと入ってくるとでも言いましょうか。
 とはいえ、基本的に、小島監督がどういうMEMEを受け取ったか、あるいはどういうMEMEがあるのか、というのを、趣向を凝らしながら綴られる文面ゆえにこうも刮目させられるます。
 それは、小島監督がMEMEを伝えるという事を真摯に考えて文章を綴ったからに違いありません。MEMEを伝える、と簡単に書いてますが、それは大変に難しい面を持っています。それは単にそのまま伝えるだけでも駄目で、ちゃんと次代が時代に合った改変を、受け取り方をしていかなくては、意味を為さない。

人から与えられた解答に本当の救いはないのではなかろうか。書いてあること、教わった事、知識や情報をそのままトレースしても同じ結果や成功は得らえない。むしろ、MEMEのバトンを渡し、繋がっていくといった、自ら何かを発見し誰かに伝える事によって、これまで点だったものが線となり、線が面となり、面が球体となって、それこそ宇宙のように膨張していく。
(P.326)

 それでも、MEMEをどう伝えるのか、どう受け取らせるかというのを常々と考えたのがこの本のあり方、そして小島監督のあり方であるなあ、と言う事も可能であります。ゆえに、節々の言葉に引かれ、惹かれるのではないかと。真摯な言葉には、やはり力があるのであるなあ、と思うのでした。