感想 大和田秀樹 『疾風の勇人』1巻


大和田秀樹 疾風の勇人(1)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「日本が、動き出す!」。昭和。戦後の時代。一人の男がいた。それが池田隼人。後の内閣総理大臣にまでなる男の、その過程のお話。それが『疾風の隼人』なのです。
 さておき、大和田秀樹てんてーと聞いて、皆さまはいかなるイメージが浮かんだでしょうか。そうですね、大体がギャグ、それも破滅的なそれでしょう。漫画界には色んな破滅的な漫画家さんがいますが、その中でもドレッドノート級なのが、大和田てんてーです。個人的には『ドスぺラード』のぶち狂った内容を思い出すだに、大和田てんてーおっかねえ……、大和田てんてー信用できねえ! という恐怖のたぎりがあるのですが、それはさておき、そういうギャグに力の入った漫画家、というのが大和田てんてーの下馬評かと思います。
 が、この漫画においてはそれは全くありません。ガチガチのシリアスです。歴史物、それも戦後史というものを、全く茶化さず漫画化しておるのです。実際問題としては、大和田てんてーの所作、その画風がギャグめいて見える時はありますが、これは山口貴由てんてーの『シグルイ』であった、特にサービスするつもりではなくちゃんと描いていけど読者が勝手に面白がることに、というそれと軌を一にする所かと思います。時間すら操るのか……! とかギャグ一歩手前でしたし。
 さておき。
 この話は、戦後復興期から高度経済成長期辺りをやるっぽいのですが、この巻ではまだ第二次吉田茂内閣発足までです。主人公たる池田隼人も当然若く、日本を憂いる男であります。その周りに色々な仲間もいて、背中を見ることになる吉田茂もいて、という展開。これがどうなっていくのか、というのは歴史物ゆえ調べれば分かることですが、でもどう味付けしてくるか、というのが面白みになる訳ですよ。池田隼人の持つ熱さとかが、なんとも復興期の人のそれというか、どうにかしようともがいていた人達の持つものとして感じられて、畢竟今はどうなのか、とか考えさせられます。国を本当にどうにかしたい、占領国から自立した国へ。今の自分はそこまで考えているか、とか思っちゃいますよ。襟を正したくなると言うか。
 さておき。
 そういう、ガチの話を大和田てんてーが、というのは本邦初と言うことでもありません。至近では『「ガンダム」を創った男たち。』という例があります。こちらは所々のサービス精神と、その話自体のオタに対するサービス精神と、更に大和田ハッタリが絡まって大変いい出来でありました。細かい事実関係とかどうでもいいんだよ! 見栄え! という部分はこの『疾風の隼人』でも通奏低音としてあります。きっちりとしている部分の方が多いんですが、例えば田中角栄が妙にイケメンだったりとか、事実と俺の描ける絵は違うんだよ! というぶっきらぼうに投げてくる感じがありまして、それが逆にいい感じであるかと。正しいことが正しい訳じゃないですからね。こういうジブンナイズはしっかりやって行って欲しい所です。今後も事実をベースにハッタリしていくと、歴史を知るのにいい漫画になるんじゃないか。そんな気がします。『チーム★アメリカ ワールドポリス』で国際情勢を知るような感じになるかもしらんですが!
 とかなんとか。