感想 柴 『白衣さんとロボ』1巻


柴 白衣さんとロボ(1) (バンブーコミックス)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

 大体の内容「白衣さんとロボの日常」。天才女学生の白衣さんと、その科学力によって生み出されたロボの、特にこれといったものがないただの日常。それが『白衣さんとロボ』なのです。
 この漫画の何もなさ、というのは中々見所があると思います。何も無いのに? そう思われる方は「吉村!」「護!?」って感じで頬を張られても仕方ないので、まずその幻想をぶち殺すことから始めましょう。
 前にあfろゆるキャン△』でも何もないがここにある、という記述をした記憶がありますが、何もないがある、とはどういうことか。何か特別なものがあるのではなく、なんでもないものがある、という意味合いです。何かどうでもいい日がとても重要な意味を持つ、ということもなく、なんでもない日がなんでもない。そういう意味合いですよ。人、それを日常と呼ぶ。と言い切ってもいいでしょう。
 この『白衣さんとロボ』は白衣さんとロボのただの日常を、ただの日常として描いている。その異常のようで普通の毎日はに特段の意味はなく、だから特段に意味がない。でも、それこそ日常のあり様である。全てに意味が無ければいけないなんて誰が決めたんだ、とは、黒田bbAチャンネル』の天衣無縫、るんちゃんの言葉の邪推訳ですが、でも、実際そうだと思うんですよ。何か意味がないからこそ、日常と言うのはおくれるものなのだと。そればかりじゃ疲れちゃう。そして常にそういう意味ばかり気にしていて、だから意味がない中の意味を見逃すのは良くないのではないか。意味のないこと。それ自体に私たちは囲まれていて、だから実態的な意味のある話を求めたがるけど、もうちょっと足元の無意味さの中から意味を掬いとることもしなければならない。と長くなりましたがとにかく意味がないがあるというのは、日々の中では実は重要なことなのだと思う訳ですよ。
 その点で言うと、『白衣さんとロボ』は意味のない日常の話です。出てくるのは、天才らしい白衣さん(黒髪ロング)とロボ(四角い四角いのオーソドックスロボ)だけです。偶に家電製品が喋りますが、それは今回書く内容の筋とは違うので放っておきましょう。とにかく、基本は白衣さんとロボが日常を謳歌するだけの話です。
 それが、いいんですよ。
 白衣さんは天才なので、わりとロボが万能です。家事のことを一手に仕切る、というロボの使い方が間違っている感がありますが、自分くらいの年代ですと、手塚治虫先生の家事ロボットがわりと脳内に刷り込まれているので、それより闊達に動き、感情を示すも、家事と白衣さんの相手に追われるロボには妙に親しみを覚えます。そして、白衣さんにはミステリアスさも。どうしてここまでの技術を持っているのか、とかそういうのもですが、なんというか、謎を持つ女性特有のエロティシズムがあるんですよ。結構ずぼらでいい加減ながら、でも天才であるからロボも作れちゃう、というのと、そも家電製品にAI埋め込む以外の作品、つまりロボを作った経緯とか、謎であります。単純に家事をしてくれるロボが欲しかった、というのは分かり易いのでそれでもいいんですが、家電にAIを入れられるなら、家事はだいぶ楽だろうに。とも。でも、その家事を担う家電はちょっと古い物ばかり。この辺りに白衣さんの想いというか思想というのが見えるのでは? とも思ってみたりします。
 それはさておき。
 白衣さん、いいですね? キャラクター的にいいという意味ですよ、もちろん。微妙に謎があってミステリアスながら、わりとずぼらで家事はロボ任せ。白衣は何着も持っていて曜日で変える。というか常に白衣着衣。そして基本は黒ロン白衣セーラー。バンダボー! もうそれだけでお茶碗何杯でもいけるんですが、暑い最中はポニテにもしてくれます。あああー、黒ロンのポニテ最高なんじゃああー。という個人的な萌えツボがビンゴ!って押されてます。この黒ロンだけで、満足、したぜ……! って鬼柳京介顔で大満足ですよ。ありがたやーありがたやー。
 とかなんとか書いてこの項を閉じたいと思います。