オタク教養についての永遠の中間報告 その1

  • その1と題していますが、続くかどうかわかりません。とりあえず頭の中のことをアウトプットしないと渦巻いて困るんですよ。
    • 当然、整理されていない案件なのではなしはしっちゃかめっアヌビス神のチャカです。いつか綺麗にまとめたいとは思いますが、それはまた別の話。
  • とりあえず、この思考の端緒になったのは、所謂FGOで元ネタがあるやつをするの止めて! という言説と、それを揶揄する言説が巡っているらしい、自分の観測範囲ではほとんどないのでらしいなのですが、からきています。
    • ここはまず軽々にオタ教養と元ネタを知っていることを結び付けて教養が無いという話になりそうなのですが、それについては個人的には賛否が半々であります。
      • 単に元ネタを知らないのにやられると嫌! というのについては別に今知らなくても今から知ればいいじゃん。というのが個人的な立ち位置です。
        • こういう元ネタとして使われるという時点で、一定の存在感、言い過ぎれば面白さがあるな訳ですから、後追いしても問題ないと思うですよ。知るきっかけとしてFGOであった、も別に問題ないはずなんです。
          • ここを問題とする場合、それは大体2パターンに分けられるかと思います。
            • 一つが知っている状態で楽しみたかったという言い分。ネタを最大限の状態で受け取りたいという気持ちからくる言葉でしょうが、そうそう都合よく自分の知っているネタがネタにされるとは思わないことです。で済みます。
            • 一つが知らない話をされても困るという言い分。これに関しては、どんなものでも知っている状態で話を常に知れるとは限らないということで、蚊柱に突っ込んだとでも思って今から知りなさい。で済みます。
      • 単に教養が無い、という言説を持ってくるのは個人的には否を唱えたいところです。
        • 基本的に我々は全てを知る事が出来ない、という地点に立脚して言いますと、お前それお前が知らない元ネタ出された時にも同じこと言えんの? です。
          • それともあなたは全てのことを知っているのですか? なら人類に英知を授けてみせろ! ですよ。どだい無理なことを自分は言えて相手に言わせないってのは無しです。
  • 元ネタを知らないことは、悪いことではない。というかわりと普通にあることです。だというのにここで知らないことへの忌避感が出るのは何故かという話に立ち入ります。
    • 単純に言うと、知らないことがあるのを忌避する、というのはその知らないことでマウントを取られることを忌避する、というのではないか。そう邪推しております。オタ教養によるマウントです。
      • 元来的な教養も、マウントを取る部分があるというのはありますし、実際それを乗り越えていくという過程が重要であります。過程によって知識を得て知見を得て思考を得てビルドゥングする、というのが重要とされた訳です。
        • ただ、旧来の教養というのが、それによって知識人、言い換えれば社会において意味のある人となる、という部分がある。つまりひとかどの人物になることを一つ目的としていたということ。
          • しかし、現在においては教養の方はそれが成り立たなくなっている、という話に行きますが、それは置くとします。
  • オタ教養においてマウントを取る、というのを忌避されるのは何故か、という話は大変単純で、ただの趣味のことで嫌な気分になりたくない、ということです。
    • 元来的な教養のように、それで身を立てるという部分は、オタ教養にはありません。ある人もいましたが、現在においてはそれはほとんどない。1000%ないレベル。
      • ここでマウントを取り返す為にやる、という選択肢も存在することは指摘しておきますが、それをするくらいなら最初から元ネタ止めてもらった方が実際早い、という点も指摘しておきたいところです。だから元ネタ止めてなんだろうなあ、とか。
  • 現在において、オタというのは趣味の範囲だ。という視点は大事だな、と思いました。(小並感)
    • もっと言えば、知識を持っていることは悪くない。マウントを取ろうとするのが悪い。というべきでしょうか。
      • なんでマウント取ろうとするのかなあ、というのが個人的な疑問です。そんなに気持ちいいの?
      • この辺もうちょっと掘れそうですが、書いててだいぶすっきりしたので今回はこの辺りで。