まあ、格ゲーだけじゃないけど
今、井上新八『続ける思考』を読んでいます。その内容が、格ゲーマー、特にスト6からやり始めた人には刺さるのでは? というのに気づきました。
それは格ゲーマーに言っているのか?
あ・・・? あ・・・?
とギース狼狽するくらいにドンピシャな内容だったのです。
なので、そのエッセンスを抽出しておこうと思い立ちました。ということで、読書記録としつつ、なぜ格ゲーマーに対してドンピシャ、いやドンピシャだぜっ! とピシャ岡さんになるくらいなのか、紐解いていきたいと思います。
ゲームのエンドについて
『続ける思考』は、その題名通り続けることについて、著者の経験、実体験、現在進行形の話がされます。
この本の話は、だから格ゲーマーにとって示唆的です。それは、続けていくというのが格ゲーには常について回るからです。
そもそも格ゲーは続けていくにしても他のゲームより路が茫しています。単純にいうとクリアがないのです。
他のゲームジャンルには大体終わりがあります。その終わりを目指してスキルを磨きそれを迎えるのが、大体のゲームのタイムスケールと言えます。
これが当てはまらない、明確な終わりがないゲームは格ゲー以外には音ゲーくらいでしょう。その音ゲーも全曲全難度クリアが一つ段落ではあります。
では格ゲーに一つ段落があるか、というとこれは人によります。私などはスト6でダイヤモンド行きたいなあとかあります。ある程度の腕前というのは目指し所です。また倒したい相手、という一つの段落もありましょう。その辺りの段落は人それぞれと言えます。
とはいえ、その段落になれば格ゲーは終わりか、というとそうではない。
もっと上の段階を目指す?
もっと強い人を目指す?
そういうのもある。ですが、格ゲーはそれで終わりではない。あるいは、終わりがない。対戦をしたいなら、対戦人口が2人になるまで続けられます。
そんな限界までいかなくても、最終的に延々戦い続けるのが、格ゲーマーのエンドである。終わらないのが終わりなのです。
何故格ゲーが続かないのか
では、格ゲーを続けられないというのはどういうことか。結局、どこまでも戦う以外にすることがない点で、これは停滞感を覚えるからでしょう。
特に、一つ段落があった場合、そこを越えたら終わりと感じる場合が強い。格ゲーは終わりがないタイプのゲームなので、逆に言うと終わりだと思ったら終わりになってしまう。
達成をしてしまったがゆえに、終わりがないところに終わりができてしまう。という恰好になります。
そうでなくても、終わりがないということはきりがない。いつまでも遊べるけど、だからこそどこかで一つ段落をつけてしまうことがある。いつまでも遊んでいいんだけど、いつまでも遊んでいいのか? となる。
この辺が格ゲーが続かなくなる理由でしょう。いつまでも遊んでいい、と言われると逆にきりをつけたくなるのですから。
腕前帯であれになったら、というのも、きりをつける形ですし、倒す相手もまた一つのきり。いつまでも遊ぶわけにはいかない、というのがそういう形になっているのです。
ずっと遊べるからこそ、きりを越えてしまうと飽きがくるし、そこで実力の頭打ちにも当たったりする。そこまでいかなくてもいいか、となる。そういうのがあって、格ゲーが続かないことは多いのです。
人は誰でも MYゲーム探す 格ゲーマーのようなもの
とはいえ、年季の入った格ゲーマーはきりがない格ゲーを延々遊んでないか? というのはあるかと思います。
そうです。遊び続けています。
いつまでも格ゲーをやり続けてきたのが年季の入った格ゲーマーなのです。当然、タイトルの流行り廃りはありますが、そんな中でも色んなゲームに移り移られ、揺蕩って自分のホームを見つける旅をしているまで言えます。
それができた人の真価、というのが今年のEVOでヒューゴって強キャラだっけ? な疑問が浮かぶくらい芸術的二回転してたはやおさんなのは論を俟たないでしょう。
あそこまでになれ! とは軽々には言えませんが、最終的にはあそこまでになれ! ではあるのです。ああいう世界に到達してほしい。
しかし、いきなりなれるわけがない。当然です。そもそもストⅢ3rdが25年選手です。その深淵に、DAY1で到達せよ! とは流石に言えるわけがない。
ですが、今ならスト6に跳び込むのはありかと思います。出て1年ですが、逆に言うとまだ1年です。まだ調整も入っていて、環境が完全には固まっていないのもあり、既に形が定まった25年選手と違ってまだ何が起こるか分からない。まだ入るのに向いているのです。
格ゲーの基礎部分の良さも現在は、と注釈は入るとはいえ至高の域なので、ひとまず格ゲーをするならスト6からやってみていいかと思います。
ではどう続ける?
話が少しそれましたが、格ゲーをやる上で、継続するにはどうするか。そういう話をしていきましょう。
『続ける思考』はそれに対して相当の知見を与えてくれます。
続けるにはどうするか。
毎日するのです。
何言ってんだ! ふざけるな! そいつは俺が!!
と俺は橘 ギャレンださん台詞が出てくると思いますが、まあ待ちねえ。
毎日できない、というのはあるかもですが、何もプレイを必ずしなくてもいい。とりあえず、格ゲーを起動する。少し、5分でも遊べるところを遊ぶ。
これを続け、習慣化するのです。
起動すれば、意外とゲームしだすものです。それをとりあえず5分トレモでコマンド入力精度の練習をするとか、CPUで模擬戦とか、ランクマ一戦だけするとか。そうすると、呼び水になってついついやってしまう、というのに行けばまあ万々歳。すぐ終わってもいい。でも、毎日とりあえず起動する。
そういう風に習慣化していけば、いつの間にか格ゲーを地道に続けている! という感じのメソッドが、『続ける思考』の基本となります。まず起動から、少しプレイ、それを呼び水にしてもうちょいする。そういう時間を作れば、地道に遊び続けられる、という話なのです。
実際問題、著者の方もどうぶつの森シリーズでお気に入りのキャラに何年も毎日贈り物とツーショット写真をしている、というので信頼と実績があるのが強いです。あなたほどの実力者がそういうなら……。
そういうちょっとしたことから、じりじりと積み立てていく、一つの習慣に色々つけ足して大きなルーティーンにするという話の本となっているわけです。一気にこれで習慣化! みたいなファストなやつではありません。要注意です。
ならば、つまらなくしてやる
さておき。
色々なゲームを渡り歩いているノマドな格ゲーマーな私ですが、『続ける思考』に中々突かれるところがありました。
誰かがつくった「効率のいいやり方」をマネするだけじゃ、ラクにはなるけど楽しくはならない。
ラクするとなんでもつまらない。
自分で考えてやるから楽しくなる。
(井上新八『続ける思考』P176)
エッジが効いています。こういうのを見ると、攻略を自前ですることに対して襟が正されます。
そして、いい? ここからが重要よ? とブラックマンバ顔で言いますが、誰しも自分の思うように攻略を考えてもいいのです。俺はこれが強いと思う、というのを勝手にやっていいのです。正解はあるでしょうが、それをただ金科玉条として、自分の手である程度掘っていくのを恐れるのはいけないことなのです。
正しいか分からない。それが楽しいのであり、ガチガチに攻略の情報だけを鵜呑みにしてそれだけの行動しかしないのなんてつまらないのです。
他人の攻略だけを咀嚼して、ゲームを遊んだ気になってしまうという。ならば、つまらなくしてやる。という状況になってしまうのです。何のためにゲームするのか、という話にすらなってきます。
そしてつまらないと続かない。そういう意味では楽しいと思える遊び方をするのが、格ゲーを長く続ける為に必要なものなのです。
という感じでまとまったので、今回はここまで。