はじめにとは
何故だ! と剣崎声を題でしておりつつも、実際のところ筆者はクラシック操作で『ストリートファイター6』をやっているものであり、格ゲー歴も『ストリートファイター2』(SFC)からなので、つまり古来からのクラシック操作格ゲーマーです。
そんな私でも、スト6のモダンは良い面が多いと認めております。今まであった簡単操作に一石をきちりと投じれた段で、優れた施策です。あるいはスト6は最初からモダンのみの選択さえすれば悪い面はなかったのに、まであるクラシック操作すくたれものです。
しかしだからこそ、クラシックでやる価値というのを捏造したいという欲求に駆られます。モダンのみだったら生まれないこの奇妙な感覚について記述しないといけない気がするのです。
そういうわけなので、何故人は、主に私がクラシックをするのか、という点をコマンド入力の話を中心にして詳らかにして解明したいとする雑記がこの項となります。
ということでそれではいってみましよう。
コマンド入力って楽しいとは
コマンド入力、というのが楽しいのは、古来からの格ゲーマーには言うまでもないかと思いますが、ここんとこがモダンがある格ゲーから入ったら分からないかな、という気もします。
コマンド入力とは、楽しいのです。と、石川賢系グルグル目しても分からない、伝わらないんだ! なので、なんでコマンドが楽しいのかというのをちゃんと話していきます。
若干前置きが長いので先にあらすじをいうと、特別な行動で特別な技が出るって最高じゃん? という話です。
その辺りを縷々ってみます。
コマンド入力についてのエトセトラとは
格ゲーのコマンドというのは、そもそも特別なものなのです。例の少ない現象です。
コマンドというのはもとは格ゲーのそれとは違うものを指すものでもありました。特定のコマンド入力で、特定の現象やアイテムを出す、みたいなものがゲームにおいては基準だったです。
その中で特定のコマンドを入れてまさしく必殺の破壊力の技を出す、というのが『ストリートファイター』で生まれた必殺技です。
この頃から既に波動昇竜竜巻があり、その呼称が現在でもコマンド説明に使えるにあたり、それがいかにインパクトがデカかったかが分かります。
とはいえ、このインパクト部分は『ストリートファイター2』でのコマンドの洗練も大きく関わってきます。『ストリートファイター2』自体、格ゲージャンルを生んだ化け物ゲーですが、これでの印象があるからこそ、以後コマンドの呼称として波動昇竜竜巻が永遠に定着したわけであり、そういう意味ではコマンド技は『ストリートファイター2』が施行したまであります。
スト2のコマンドに対する洗練とは
そもそも、スト1のコマンド必殺技は出すのが難しいものでした。コマンド成立と同時にボタンを押さないといけなかったので、タイミングがシビアだったからです。
スト2はそこをボタンを離した時でも成立するようにしたことで、飛躍的にコマンド必殺技が出しやすくなりました。それでもまだ難度はあるんですが、スト1のような無闇な難しさではなく、やればできるようになるレベルの難しさに収まっていました。
これの洗練により、必殺技が現実的な域でバトルに組み込めるようになったのです。
このコマンド成立難度の部分も洗練ですがそれ以外でも、たとえばタメ技やボタン連打、同時押しなどコマンド必殺技のバリエーションを増やしたのもまた洗練です。単純にコマンドを波動昇竜竜巻だけにしなかったのは慧眼と言わざるを得ません。
タメなら、後ろ斜め下で横タメも下タメも出来るというシステムなのは今見ても頭抜けています。
縦横どっちも後ろ斜め下でタメ可能というのは、ガードに自然となる、という状態も作り出します。初期の中段はジャンプ攻撃しかないので、跳んでくるのをみつつ相手の攻撃を受け、タイミングよくタメ技などで反撃、というのが可能だった訳です。それが行き着くと待ちガイルですが、でもこれらが最初期に決定された点は以後のタメキャラの方向性に多大な影響があったのは間違いありません。
連打及び同時押しは単純に分かりやすい上にそれでてる技も理解しやすいのが大きいです。キックボタンをたくさん押したから、百烈脚がでる、というのは行動への導線が大変分かりやすい。蓋然性が高いとも言えます。
蓋然性。そうなのです。格ゲーのコマンドはただ面倒なことをしておるのではなく、蓋然性があるのです。これはもっというと必然性にまでなりますが、とにかく、そう動かすからそういう技が出る。そういう蓋然性が、コマンド操作にはあるのです。
特殊な行動だから特殊な操作で蓋然性を高める。そういう部分があるからコマンドというのは楽しいといえるのです。
コマンド操作の蓋然性とは
必殺技が必殺技たる所以として、コマンド操作には蓋然性がある。
これはどういうことかをもっというと、例えば下から前に回してパンチで波動拳を出す。これは下から力を入れて前に出す。というイメージが持てます。
持てない? 持てるんですよ。
圧はさておき、そういう力の流れのような感覚を、コマンド操作には感じます。上記した後ろに力をタメて前に出す、タメの所作というのにも、ボタン連打で百烈とかにも、その力の流れというものを感じさせたのです。
というかですね、波動拳コマンドを発明した人は天才だと思うんですよ。下から力を前に出す、というあの感じ! 具体的には言わないけど、そういうのを感じてね! という製作者の声が聞こえるようです。
つまり、コマンド入力が独特の力の流れを感じさせたことが、コマンド操作に対する蓋然性となっていた、という説を浮上させてみます。
蓋然性の現在位置とは
とはいえ、この感覚は忘れて久しいところがあります。もう30年近く格ゲーしているので、そりゃその部分も薄くなるわ。ではあります。
しかし、それ以上に現在のゲームの感覚では必殺技コマンドの蓋然性は感じられないかもしれない、ともなります。
というのも、だいぶ必殺技の威力が下がっている、ここぞで決める技という感じが少なくなっているのがその辺に関連しそうです。
スト1の威力は、昇竜拳が出から終わりまで無敵とか性能も含めてくるくるしてました。ゆえにまさしく必殺技でした。
スト2になると、代を重ねるごとに威力はマイルドになりましたが、それでもスト2無印では波動拳は威力もまあまああり、また短い間隔で二回当たると気絶する、という結構際どいパワーがありました。
そのある意味プライマルな味わいから格ゲーに入った人にとっては、必殺技のコマンドというのは大変力がはいるところになるのです。強い技を使う、という為のコマンド技に一家言があるし、蓋然性があったとのたまうのです。
ちょっとした自分語りとは
そういう一家言が生まれる過程の話をしましょう。そう、自分語りです。
個人的にはスト1はゲーセンで一回見た程度の記憶しかなく、実際プレイしたのは町の祭りの一角にあった家庭用ゲーム機開放してるところでした。以後も何年かはその家庭用ゲーム開放があり、そのたびにスト1をしていた記憶があります。ガキんちょだったので攻略もくそもなくCPUにぼこすこにされていました。
その頃はコマンド技など分からない頃でもありました。隠されていたという記憶がありますが、実際どうだったのか上手く理解してないです。隠しだったらしい、んだけど記憶違いか?
その後スト2が出て、コマンド技が明確に現れました。インストに載っている、周知の事実としてコマンドが広く知らしめられました。
とはいえ、ゲーセンはその頃は行ったらいけない場所感がありましたから、スト2には中々近づけなかった。近づけたのは、だからSFC版からです。
SFC版スト2はまず友達が持っていました。それからいずれ自分でも買うんですが、それまでは友達の家に行く以外でスト2が出来る場所はなかったのです。
ゲーマーゆえSFCはある。だがゲームは、スト2はない。そうなれば、後は昇竜拳コマンドを、全くのエアでコントローラーに叩きつける以外ないのです。
なので叩きつけてましたが、ここでおかしいのが、よくよく考えると自分の持ちキャラがブランカだったのに、そんなことをしていたことです。
昇竜拳を扱える、というのが特にステータスだった記憶もないんですが、昇竜拳が出せるとなんだか凄くねえか? というプライマルな気持ちでやっていた記憶があります。
何があの頃の私を駆り立てたのか良く分りませんが、そのおかげでコントローラーで昇竜拳が出せるようになり、以後の格ゲー人生に多大な影響を与えてくれました。まあ、それはまた別の話。
で、そういう変な記憶があるので、格ゲーのコマンドというのにはやはりやるだけの価値が勝手にあると思うのです。それだけの、何かがあった、あの頃にはそれがあったと思うのです。
実際、昇竜拳出せるようになったときは気分が良かったです。出せる、という地点の為の練習は楽しくて仕方ない。SFCのコントローラーを取り外してあちらこちらで練習していました。
そして、出せるようになりました。かなり自在に昇竜を撃てる! という地点に辿り着いたのです。
とはいえ、持ちキャラにフィードバックする要素ゼロなのですが、それでも俺は昇竜拳が出せる、という自信は格ゲー人生にいい影響を与えたと思っています。
最近は出せて当たり前! 当たり前! 当たり前ー!! とどっかのステーキ職人の言葉が出るくらいには当たり前にこなすことが求められるので、この感覚を持ちづらいのかもなあ、とも思います。
昇竜拳打てたらわりと頑張ってる、やるやん! って言わんといかんのですが、現在ではそうそうそういうのはなく、上の人は息をするように出せているので、それくらい出せないと駄目なのか、と思わせているのかもしれません。
だから言おう。
昇竜出せてる、やるやん! と。
クラシックゲーマーの性癖とは
結局古の格ゲーマーがクラシックをするのは、コマンドという時代と寝ているから。若干語弊がありますが、コマンドが身に沁みついて、いや骨の髄まで染み込んでいるから、コマンドで必殺技を出すのが当然、疑う位置にないものとなっているからなのです。
つまり、そういう性癖です。
そういう性癖を、未だに大切にされているのが、我々クラシック民なのです。でも、これは仕方ないこと。コマンド操作が楽しいというのがDNAレベルに刻まれてしまったのです。進化の過程でそうなってしまったのです。
そういう訳なので、ここまでいろいろ書いてきましたが、そもそも論として、三十数年同じ操作をしてきたのをここでいきなり変えるかよ。こちとらDNAに刻んどんのやぞ! というのでそりゃモダンに変えねえわ。がファイナルキャンサーだと思います。
コンコルド錯誤というと若干違うんですが、とりあえず今まであったコマンドの蓋然性をさっくり捨てる、というのは中々しにくい。モダンに変えられる人の柔軟性には舌を巻くくらいです。そういう人にはライフタイムリスペクトです。一生一緒にメガフレアです。
とはいえ、やはり必殺技を出すのにコマンドを使う、ということへのみょうちきりんな信頼というか、これを積み重ねてきたんだという自負というか、それで時代を乗り越えられるという考えというかが、クラシックをする人にはあるのです。DNAにすら刻まれているので、コマンド入力というのは古の格ゲーマーにはほとんど快楽なのです。これはもう、せまるくす以上の快楽だ! なのです。
実際、今後の格ゲー界がモダンが基本の世界になるかもしれないのですが、それでもコマンド入力をする、というのに己の矜持がかかってくるのではないか。そういう夢想などをしてしまいます。
終わりにとは
クラッシックをする人がコマンドにどういう気持ちを持っているか、という話でしたが、究極すると、今まで三十数年楽しくやってきたことをいきなりなかったことには出来ねえ、という部分と、でもコマンド入力楽しいんですよ!? これが出来ると楽しいんだよ!? という部分がないまぜになっているので、中々厄介です。どっちもだからなんだよ! なんですが、とにかくそういうお気持ちが出てくるのです。クラシック民はそういう性癖なのです。
そういう性癖持ちが住まうクラシックが廃れる日が来るのか。それともモダンが一過性なのか。その辺がこの一、二年で焦点として挙がってくるかもしてません。それはそれで対応を迫られるでしょうが、とりあえず今はクラシックでスト6をする、というのを堪能したい。
とかなんとか書いてこの項は終わりです。したらな!