もう一度中核について

実は上を書いた段階では本文をきっちり読んでなかったりします。 関係各位にはへこへこと頭を下げさせていただきます。 すんません。
で、よく読んで考え直して見ますと、そもそも「中核誌」ってあったのか?というのが浮かんできます。
初期の頃のオタクというの、ある種のコロニーを形成していて範囲的に狭かった。 それゆえにお互いの情報の浸透率が高く、ある種の協調がとれていただけで、雑誌メディアでの協調ってわけじゃなかったんじゃないかと思うのです。 その疑問のおもたるところとして、宮崎勤の時、オタク批判に立ち向かった雑誌メディアがあったのでしょうか? 確か大塚英志氏がひとり立ち回って空回ったという話を氏の著作で読んだ記憶がありますけれど、雑誌メディアがたったという話は聞きません。 知らないだけの可能性が高いんですけれどもね。
そもそも「中核誌」という考え方が出来るようになったのは、結構最近になってからじゃないだろうかと。 つまりそういえるような雑誌が生まれてきたから考えられるようになっただけで、昔から「オタクの意識統一誌」というものはなかったんじゃないか? いや、知らないだけなのかもしれないんで疑問を上げてるんですけれども。
そういう意味では「中核誌」が出来るのは、むしろ今からなのかもしれないなあ、と夢想して終わりにいたします。