感想 山田ヒツジ 『デキる猫は今日も憂鬱』1~3巻(おおよそ3巻の感想)

デキる猫は今日も憂鬱(3) (ワイドKC)
デキる猫は今日も憂鬱(3) (ワイドKC)

 大体の内容「猫でかあ!」。福澤幸来さんの家には三年前に拾った猫がいます。その猫、諭吉はすくすくと大きくなり、大きくなり、大きくなりすぎて人間の福澤さんより明らかにたっぱがあるわ、炊事洗濯家事諸々を一挙に引き受けるようになるわで、おのれディケイドォー! お前は一体何なんだ! というくらいにデキる猫となってしましました。そんな諭吉と福澤さんの生活の話。それが『デキる猫は今日も憂鬱』なのです。
 諭吉は本当にデキます。このデキるがゆえに、ズボラで汚部屋住人の福澤さんはデキ社会人生活が行えるようになった、というレベルなので、どんだけ凄いんだよ、神か。まであるのです。
 実際、福澤さんにとっては諭吉は既になくてはならない存在で、その家事スキルや酔い対策スキルなどに完全に依存してしまっています。諭吉は諭吉で、でかいとはいえもっふもふの猫なので、簡単に外を出歩けない。なので家事スキルがどんどんと上昇してしまっています。(一応、色々と擬装めいたことして買い物に行ったり、ご老人の会に出たりしたりしてますが、基本は家に)
 そんな訳でわりとお互いとお互いで補完しあっている福澤さんと諭吉の毎日を、無駄にでかい波乱とか、偶に部長に諭吉のことが?! とかありますが、基本無しでゆらゆらと生活しているさまを見る漫画です。そして、そのテンポが、大変いいのです。
 一応ワイド4コマの類に入るこの漫画ですが、そのテンポは大変にいいのです。二度目なので流石にちゃんと解説します。
 4コマのテンポ、というのはそんなに無さそうに見えて、実はいろいろなものがあります。これはかなり属人性が高く、スゴイテンポよく4コマを決める漫画もあれば、ずるずるとノリを引きづっていくねっとりとしたもの、テンポが亜脱臼しているのが逆にいいもの、ハキハキしているけど特にやってることに意味がないものなど、様々なのです。その中でこの『デキる猫は今日も憂鬱』はどうか、となりますが、これは大変すーっと流れていくタイプ。その中でピン! とネタが立ったり、そのまますーっと流れていったりとします。
 このすーっと流れるタイプ、個人的な話で恐縮ですが、無茶苦茶好きなんですよ。わー!わちゃわちゃ! とするのも好きですが、こういう特に変なテンションにならず、するっと過ごしてくれる漫画。大変好き。
 それが特に出ているのが、3巻の飲み会帰りの福澤さんを超絶サポートする諭吉の回。その手厚さ、手際の良さがすーっとやっていかれるのです。このテンポの良さとのど越しの良さが、この漫画の良さ、と言っていいと思います。
 それにしても、こんな猫がいたら欲しい……。まである諭吉の超絶主婦力と、それでないとサポートしきれないという福澤さんの超絶主婦力の無さが噛み合ったがゆえに、この二者は上手く組み合って生活している。実話じゃないんだけど、実話じゃない、だからこそだろうがっ!! と言ってしまえる、そういういい関係性です。ある意味漫画だからこそ出来る話です。こういう現代的なファンタジーを、このすーっとしたのど越しで。ドストライクなのです!
 というか、普通の人以上に人間臭い部分、主婦部分があるし、超でかいけど、猫なところもある諭吉が堪りませんよ。流石に自分よりデカい猫が可愛いか、というのは考えたい所であり、つまりライオンよりもでかいってやばくねえか? なんですが、でも折々で猫のムーブするのがよいのです。3巻だと社員旅行に行った福澤さんの電話にゴロゴロゴロゴロするとことか。ひゃー。想像するだに可愛いぞ諭吉! ってなります。また猫が飼いたいなあ。とまでなりますよ。
 そんなデカいけど可愛い諭吉と、仕事は出来るけど家ではヤバかった福澤さんとのマリアージュ。それが『デキる猫は今日も憂鬱』なのです。