好きな漫画の語り部 第一回 木々津克久 『フランケン・ふらん』シリーズ

フランケン・ふらん 1 (チャンピオンREDコミックス)
フランケン・ふらん Frantic 1 (チャンピオンREDコミックス)

この項について

 唐突に漫画語りがしたいと思ったのでやります。大体、漫画感想の延長線上になりそうですが、偶に思い浮かんでくるこの衝動を潰すには書くのが一番なのだ! という戯言はさておき、今回はいつも感想書いているやんけ! の個人的代名詞でありつつ、おそらくもっとも好きなシリーズとして、木々津克久フランケン・ふらん』シリーズについて適宜応答に語っていきたいかと思います。

フランケン・ふらん』とは

 とある山奥にある研究所。そこには班目という科学者がいる。というのだけれど、しばらく姿を見せてはおらず、代わりに班目ふらんという少女が諸々を仕切っていた。そのふらんの前に、様々な思惑を持つ人たちが。
 というので、この漫画のベース9割は説明出来るのが、『フランケン・ふらん』の凶悪なところです。そのベースがあるなら後はなにしてもええやろ! というつもりだ、とは思わないものの、本当に我々に与えられているふらん関係の情報ってそんくらいよね、となるのです。
 そんな薄い情報など、特に気にならないのが、この漫画の持ち味であり、宿痾です。それ以上のインパクトを毎回お出ししてくるので、飲み込むまで時間がかかる。なのでベースはむしろ薄味が正解なのです。
 何がインパクトか、というのは、医療行為という名目で行われる映像的グロと、他の漫画ではなかなかお目にかかれない精神的グロです。
 一応、ふらんも科学者ですが医者でもあるので、医療行為をします。これにグロという作風のアトモスフィアが合わさって、メディカル・ホラーという脅し文句が爆誕した訳ですが、連載開始当時は萌え路線だ、というくくりで連載前の来月号の紹介ページにあったりしたので、流石にチャンピオンREDは物がちがうなあ、というのを思ったり、未だにします。

映像的グロと精神的グロ

 話が逸れました。意図的に逸らしたのですが、向かい合わなければなりません。そう、グロについて。
 医療行為をするので、映像的にグロいものがでる、というのは、言わなくても理解可能かと思います。人体を切ったり開いたりバラしたりするので、映像的にグロのそれになるのは、理の当然と言った塩梅でしょう。
 ただ、偶に医療というにはトンチキな方に振れて、人間芋虫になったり、十数人が一つの人間として合体していたり、一つの施設が一つの人間だったりと、医療とは……、哀しみとは……。という謎の位置に我々を持って行ってくれたりもします。なのでもつが出るくらいは普通に感じるようになる、というのはこの漫画愛好者の密かな強みと言えますし、これを強みと言えるのが確実に弱みでもあります。
 そんな映像的なグロは、まあ言って分かる範囲でしょうが、対して精神的グロという言葉になると、それなりに知悉が必要です。
 その精神的グロをてけとーに解説すると、映像での例示が少なく、台詞やシチュエーションだけでグロ! となること。人間の持つ精神によってのみ分かるグロさ。これが精神的グロです。
 この精神的グロにおいて、『フランケン・ふらん』は他の追従を許さないというか、誰もそこを走って欲しいとか思ってないのに独り爆走を続けるという、亜空の境地に達しています。
 ただ、この精神的グロは、先に知っていると打撃が減じる側面があります。減じていた方がいいというのは理解可能ですし、私も某ズニーランド回一回目とか流石に減じて読んだ方が凹まずに済むなあ、となるんですが、やはり新鮮な精神的グロは人間をミリも成長させないので、皆初見で見てダメージを受けていただきたい。
 とはいえ、そんなハードルをいきなり与えるのが正しいのか、という疑問も出てきます。ということで、精神的グロの一例としてGの回を、軽く語ってみたいかと思います。

Gの回の変遷に見る『フランケン・ふらん』から『フランケン・ふらん Flantic』の違い

 Gの回というのは現状都合三回あります。無印時代に2回、Flanticに1回です。
 その内実が、無印とFlanticを分けるところとなります。
 まず、無印のG回一回目。ふらんさんが研究の向上を図る為、Gを高速培養する、までは良かったのですが、これが培養の過程でGが知性を持ってしまい、反逆をしてくる、という回です。
 この回はどちらかというと映像的グロの方が強い回です。Gがわらわらいる、というだけでダメな人はもうダメでしょうが、締めがそのGを素材にした人口皮膚を移植しました、というので、ここで映像的グロと精神的グロが程よく混じりあったグロさを叩きつけてきます。逆に言うと、この頃はまだ精神的グロが少ない方だった(筆者比)と言えるでしょう。
 無印2回目は知性を得てしかし反逆はしなかったので生き延びた穏健派Gが、しかし停滞からうっぷんが溜まっており……、と言う話。Gがダメな人はやはりこの回もダメでしょうが、内容的にはふらんさんの妹分に当たるキリングマシーンで萌えキャラのヴェロニカさんがデュワ! となってヒーローショーみたいなことをする回という、わりと笑い面の強い回です。Gの回で笑いを取るという意味不明さが頭一つ抜けている回でもあります。
 さておき、FlanticのG回はふらんさんの製作物である猫型の生き物が、穏健派だったGの世界を荒らしに行く、というのでもうだいぶなんですが、それに対抗する為にGが取った行動が、運悪くG達の街に落ちてしまって死にかけだった人間を、Gが改造してGの意のままに動く人型決戦兵器に変えてしまう、というものです。勿論、その人を操縦する為に、Gが脊髄のコックピットに入って動かします。
 もう、この段階でうぎゃっ!うぎゃっ!うぎゃああっ!! ってボンガロテリー状態になるでしょうが、このきつさにはもう一段あって、その人の意識は乗っ取られている訳ではない、脳ではなく脊髄から動かしているから、ちゃんと脳の方は生きている。つまり体がGに操られているのをただ感知するしかない、という状況にあるということです。
 『フランケン・ふらん』慣れしている私でも、初見ではあまりの精神的グロに、歪み城塞うぎゃあ、としか言いようがなくなるくらいでした。あまりにも精神的にグロい。これが、現在100%の木々津膳の姿と言えるでしょう。
 ここで分かるのが、木々津先生が確実に精神的グロ力を上げているという点です。無印1回目は、人工皮膚がG製、というので移植された人が潔癖症なのもあってケヒヒヒヒ! になるくらいの精神的グロですが、必要に迫られたらもしかすると許容出来るかも、というラインでした。
 しかし、FlanticG回は精神的グロ力が高過ぎます。Gに体を乗っ取られ、体の中枢に入られ、しかしそれを止めることなど不可能。問答無用でGに操られ、Gに生かされる恐怖! 許容一切不可能のそれです。映像的にもグロいとこがほぼないので、より精神的グロが強烈に匂い立つのです。
 ちなみに、無印2回目のG回を経ているから、巨人=人間の体を使う、という発想が生まれているので、あの回の活用がこんなことに……。でもあります。元ネタのウルトラのからエのヴァに至るというオタ的歴史の踏まえ方としてもちゃんとしている点も素晴らしい。でもちゃんとしなくていいだろ、これだとよお! とはなりますが。

精神的グロにへの対応策

 とかく、『フランケン・ふらん』無印及びFlanticは精神に迫ってくる、という、迫らなくてもいいでしょー! な作風です。これに耐えるにはどうしたらいいか、というのは、ふらんなーの中でも意見が割れているところです。
 一番いいのは精神グロ耐性を付ける方法なんですが、木々津先生の精神的グロの手管は我々の予想を遥かに上回る数があり、先のFlanticのG回などは無印8巻+Flantic6巻という積み重ねがあってもまだ新しく且つ予想外の出方してくるという事実を我々に叩きつけてくるものでした。正直、まだあんのかよ! となったのはしょうがないと思っていただきたい。そんくらいなのです。
 なので、精神的グロにへの対応策というのは、自然、諦念に繋がっていくのも、これまたしょうがないと思っていただきたい。
 諦念、というは後ろ向きです。とはいえ、前向きにやっても勝てない相手なので、ある意味負ける覚悟をしておくという次善策に出るのが、神ならぬ我々が出来る唯一の行動だと思います。

キャラ物としてみる『フランケン・ふらん』シリーズ

 精神的グロの話が長くなりましたが、そこだけがフックと言う訳でもありません。キャラ物、という視点も導入可能です。
 『フランケン・ふらん』も、無印とFlanticを合わせて14巻も出ている漫画です。基本一話完結の話の漫画ですが、レギュラーから準レギュラーまでわりと数がいる漫画になっています。
 特にメインパーソナリティーのふらんさんは、マッドサイエンティストキャラクターとしての居住まいが良く、その精神性がこの漫画の精神的グロを生むこともあるし、それ以外でもこの人がいないと始まらない! という存在でもあります。なんか大体大手術している気がするくらい、そっち方面では大活躍です。
 ですがここで、トシは断然、ガブリールを推す! と言ってみます。
 ガブリールさんは、単行本14冊でてもまだ全くの謎の存在である班目博士が造った、ふらんと同じ人造人間で、がさつで強い暴力性を持つキャラクター。ですが、偶に神(木々津先生)の戯れで普通の人間の学校で先生したりしています。
 この先生という仕事が、ガブリールさんの粗雑さとがさつさが逆にサバサバであけすけと言う形になってるのが面白いです。
 基本暴の世界に生きるガブリールさんがそういう生き方も出来る、という側面もですが、案外人がいいというか、発想が暴なんだけど、ちゃんと相手を見て答えているから助言として的確という点もまた面白い。
 更にガブリールさんをよいとさせるのは、天使博士の存在。天使博士は班目博士と同年代の御老人で、ガブリールさんのメンテナンスをしていたりするだけの仲なのですが、このだけの仲にしては、ガブリールさんは天使博士のことを普通の人とは違う感じに思っている。というのが細かいところで魅せてくるのです。
 一番好きなのは、もう歳だしそろそろメンテを私が出来なくなるな、という天使博士の言葉を聞いてから、なんかメンテ時期になってもいかなくなる。からの、天使博士に何かあった、という情報を得たら敵地にいてもすっ飛んで帰る、というムーブをしたとこです。LOVEみたいな単純な構図ではないんですが、だからこそ良き……。ってなるところでした。学校の先生の時も、天使博士に殺しはするな、と言われていてちゃんとそれを守っているのも良き……。ガブアマはいいぞ……。
 他にも前述ヴェロニカも、キリングマシーンだ! と思ったら単に可愛い子になっていくのもいいんですが、そろそろ長いのでそこは割愛させていただきます。

まとめ

 映像的グロと精神的グロで十重二十重にえぐくしていく漫画、それが『ふらん』シリーズなのです。精神的グロ中心に語りましたが、映像面もグロい絵を出す為にメディカル方面に振ったのでは? と勝手に思うくらいにグロいです。他の木々津作品でもグロなのはありますが、映像面でガチガチにやるのはこのシリーズくらいなものです。でも、最後はやっぱり精神的グロなんだよなあ。という作品です。
 ある意味怖いもの見たさというホラー鑑賞の一側面はきっちりこなしているので、気が滅入るより辛いグロさを味わいたい方は是非読んでみてください。kindleとかで手軽に手に入るよ!
 とかなんとか。