ネタバレ?感想 齋藤勁吾 『異世界サムライ』 1巻

異世界サムライ 1 (MFC)
異世界サムライ 1 (MFC)

 大体の内容「ギンコさんは、おえんのです……」。日本の戦国時代最後の時期を駆け抜けようとして見事に生き残ってしまった月鍔ギンコ。最期の地を求めて強者と戦うも、未だ……。
 そんな折、もうこうなったら仏に頼むしかねえな! と寺に赴き、仏様に祈るギンコ。それは勿論、今までの罪の贖罪意識なんてのではなく、ただ最期の地があるなら行きたい、というもの。
 これを仏様が受領したことから、この漫画は始まっていきます。そうです、異世界に飛ばされるのです。
 そういう異世界転移系漫画の一角なのが、『異世界サムライ』なのです。
 それ以後の話はある意味ではよくある、つまりギンコさん無双ですが、そこはさておいて個人的に気になっている点を書きだしたいと思います。
 何かというと、仏様がギンコさんを異世界転移させたのが慈悲なのか報いとしてなのか、という点です。
 実際のところ、ギンコさんに元の世界は狭すぎました。あまりに強くなり、とりあえず野良の剣豪では歯が立たないレベルに仕上がっていました。
 なので、そこから異世界というのはある意味では救済措置という見方も出来ます。ドラゴンとかいる異世界なら、ギンコさんが存分に腕を振るって尚南無阿弥陀仏となる相手もいる可能性があるし、実際あるだろうという雰囲気ではあります。
 しかし、相手が野良の剣豪というある意味おっちんでも誰も困らないような存在とはいえ、何十とキリキリコロコロしておいて、それに慈悲として異世界をあてがうのはありなのか。そういう考えも浮かんできます。
 あるいは報いとして、全く縁も所縁もない土地に放り投げて、ということなのかもとも取れます。元の世界でギンコさんをコロコロ出来る相手がいない訳じゃないだろうし、そっちと引き合わせる手もあったんじゃないかとも。
 そこの辺りは仏様はどういう心づもりなのか。そういう話をしたいわけです。
 ギンコさんに慈悲は与えらえるべきだったのか? あるいはこれは報いなのか?
 とか書いてますが、徐々に仏様が気の毒になってきます。
 というか、どうであってもギンコさんとしては戦って果てるだけで満足、したぜ……。と完全満足状態になるのが目に見えているからです。
 それが出来るなら、どこでも変わらないのが、現行のギンコさんです。それに対して何を、強者をあてがっても被害が広がるのが目に見えている。
 なので、被害が出てもモンスターなら問題ないよね! という処遇なのかもしれない、という確信もでてきます。
 ただ、もしかすると仏様は慈悲と報いを同時に与えようとしているのでは、というもう一段ギアを上げると発想出来てきます。
 それが現地人のミコさん達との出会いです。
 異世界に来る前のギンコさんは父をぬっころして以降、家族と言えるような存在はおらず、ただ辻斬りをして生きていました。心休まる相手と言うのがなかった。
 それが、異世界にきてミコさんに会い、親交を深めていっています。これがギンコさんにとっては異世界に来たのと同じくらいの慈悲が、その存在になるのではないか。
 そして同時に報いに転換できる地点かもしれない、という予感もあります。
 与えられたからこそ、奪われれば報い。自ら果てても、残していくという報い。開かんと欲すれば、まず蓋をすべし! 理論の亜系といえるやつでは?
 そういう地点が生まれてきているというので、このままではギンコさんは大きな報いを受けることになる、と思ったりします。
 ゆえに慈悲なのか報いなのか。
 なのでこの世界にきて、ギンコさんはただ戦って死ねるという意志から変わるべきなのか、それから変わらないでいるべきなのか。
 その辺が、ギンコさん無双の先に待っているこの漫画のテーゼな気がしています。
 ということで、完全ないかれのギンコさん無双だけじゃない気がする『異世界サムライ』。どうなるのか。どうなってしまうのか。2巻はよ!
 とかなんとか書いて終わりです。したらな!