趣味だけど、努力しませんこと?

【PS4】ストリートファイター6
 以前Xにて、スト6やってた格ゲー歴スト6の人が、プラチナムで頭打ちになっている、というので練習しようか、という話をしたら引退するってなった、という話を目にしました。
 当然、ワッザ!? ナンデ!? 引退ナンデ!? と無関係な私も驚きました。練習が必要になったらやらない、は、格ゲーで常々練習してた私には衝撃だったのです。
 しかし、考えてみるとたかが遊びでまで努力したくない、というのはそれ程変でもないのでは? とも思える部分があります。
 自分の場合なら、恥ずかしながら野球全然できない、キャッチボールすら無理なので、練習、言い換えると努力して野球したいかと言われると全くそうは思わない。
 格ゲーやめる話の場合も、努力してまで格ゲーしたくない、と言われる訳で、そこに対して自分がとやかく言える義理は、元々無関係なのも併せて全くないなあ、となりました。
 とはいえ、この話の展開からすると、ほぼ努力なしでプラチナムまで上がったというなら、ほんの少しの努力積み立てでも格ゲー巧者になれそうなのになあ、とは思います。私は必死こいてプラチナムです。そこまで上がれるなら、やればできそうに思うのです。
 さておき。
 なんのゲームでも、野球でも格ゲーでもそうですが、努力の必要なターンというのがあります。でも、そこをあえてするくらいにその対象が好きになるってのは中々難しいのかもなあ、とか考えてしまいます。
 でも、繰り返しになりますが、プラチナムまで行けたなら、わりと格ゲー上手い人だと思うのです。プラチナムになるまでやってきたなら、格ゲー好きになってそうなのに、そうでなかったのかしら? そこまでいかなかったのならやるせない。
 プラチナム足踏みでも勝ったり負けたりできるのは面白いと思うんですが、そこで一気に引退に行くのもまたやるせない。
 伸び悩んでいる、というのなら、その一進一退を楽しめなかったのかなあ、とも思うのです。腕前が近い相手と切磋琢磨とか、興味がなかったのかしら、とも。
 単にお手軽に勝てるのが良かった、とか言われると寂しい気持ちにもなりますから、そうでないと思いたいですが、無関係なので詳細は分からん。
 とはいえ、その場所で努力できるか、というのは色んなとこで活用できるものだと思うので、これを格ゲーでできるようにするのはアリだとは思うんですよ。
 体を激しく使わない分、つまり体力面や怪我などのリスクがあるスポーツより、その辺がほぼない格ゲーの方が努力を身につける敷居は低いとすら思います。
 なので、格ゲーで努力しよう! と言いたいところですが、あんまり努力努力した感じを前に出すと嫌気がする人もいる訳で、この辺りがなんとも難しい部分だなあ、とも。
 他のゲームなら遊んでたら身につくものでやりくり、というのはあります。しにゲーとかはそういう類の最右翼。しにしにしんでもプレイする中で、自然と努力した結果がクリアという形になる。実際しにしにしんでのとこを何度も挑む=努力して報われる、という形。
 その点で、格ゲーは努力がかなり意図的にしないといけないところがある。スポーツ競技とかでもそうではありますが、格ゲーは特にちまちまとしたことの反復が求められるのもあり、面倒さが際立ちます。
 とはいえ、野球の努力は野球好きからしたらご褒美なとこもあるんじゃないか。辛いのもあるだろうけど、その辛いのを耐えられるゲインがあるからやってるのだろう。しにゲーのそれと近しいアトモスフィア。
 格ゲーでコンボ練習とか対空意識養いとか、面倒でも楽しいという部分が格ゲーマーにはあるので、野球でもそうだろう。とか思ってます。努力そのものを大変だけど楽しく思う、というのは、格ゲーマー固有のものではないと考えられますし。
 ですが、やはり意図的な努力をしないといけないというのはハードルなのかなあ、と。
 私が野球する為の努力を全くしたくないのと同様に、格ゲーで強くなる為の努力を全くしたくない、というのがあるなら、それは繰り返しになってますが、当然ではある。私も努力して野球やりたくない。件の人もそうだったのでしょうけど、なのにこっちはこっちでもったいない気がします。
 私は本当にキャッチボールすらまともにできませんが、野球観戦は問題なくできます。それができない方がレアケースですが、とにかくそういうか細くても縁があるなら、格ゲーの試合の観戦程度は今後もして欲しいな、とか思うのです。いきなり全捨てしてほしくないというか。
 正直もっと言うならガチガチに勝ちに行かなくてもまた格ゲー触りたくなったら触ってほしいな、とも言いたいです。別に今辞めたら永遠にやってはダメでもないですし。
 これは野球できない私に野球して欲しいな、というくらいに無茶なお願いなのですが、プラチナムまで上がれたなら、動かせる以上のことが悠々と可能な訳で、野球で換算すれば実際試合に出れるレベル。そこまでできるなら私なら上に、プロに行けなくても草野球程度は以後でもするんじゃないか、と考えてしまいます。
 ここでそもそも論ですが、これ以上上に行くには努力がいる、というので上がれないならやらないになるのがどういう感情回路なんですか!? マグマグ人!?(筒井康隆の) ってなるとこはやはりあります。
 私が野球に対して努力しないのは、基礎スキルすら全くない、完全無欠のど素人だからで、今から努力して野球をするにはトウが立ち過ぎているし、他の遊びの選択肢を削ってまでするにしても形になるまでと考えると、正直ゲームしたり漫画読んだりの方を選択した方がより楽しめると思うので、やる気がさっぱりでないのです。
 でも、件の人はど素人ではない。中級者に足が掛かっている。それなのにやめる、というのが、やはりよく分からない。野球で言うなら先述通り試合に出してもらえるレベルなので、超ど基礎は全然こなせるはず。キャッチボールから入るような私と違って、格ゲーがそれなりにできるのに、やめちゃうの!? な訳です。何度も言いますがもったいなくね?
 この辺考えると、結局は意図的に努力するというのが余裕でできる、というのが案外レアなのか? というなります。ゲームで努力する、というのが受け入れられないのかなあ、とも。
 これはゲームにおいて努力するというのは自然となされるべき、という思想にまで発展するかもしれません。しにゲーみたく、何度も果敢に挑んでいたらそれが努力となって実を結ぶ、というのがゲームにおける努力正しい在り方なのかも、と。
 格ゲーだと自然にコンボ覚える、みたいなことないです。どうしても意図的に、己から発していかないとコンボはできない。
 野球とかのスポーツでも上手くなるなら自らがやらないといけないから、似た現象ありそうです。努力してまでしたくない、というのが。
 とはいえ、面白そうで入った人が、努力を突きつけられるとやめる、というのは根深い問題になるかもしれません。趣味の話で、変に努力を求められるのは間尺に合わない、とかそういうの。
 でもその努力を面白いと思うのは、私がなんのかんの格ゲーを長年してきたからの境地である、というのかもしれません。できないことができるようになる、そして実戦でも出せる、というのは本当に面白いと知っているけど、普通はそこまでやらないのかしらねえ、とかなんとか。
 ここのところ、つまり意図的に努力しないといけない、というのが格ゲーのネックなのか? とも思えたりも。皆、やるなら自然とできている、の方がいいのかしら。ゲームだから、いつの間にか努力していたの方がいい、といえばその通りなんだけど、意図的な努力もいいものだよ、と格ゲーロートルなどは思う訳なのです。それを忌避してやらないのは、プラチナムまでいけたならやっぱもったいないよなあ、とも。
 なんかとりとめのない文章になりましたが、とりあえず自分の中にあったものは吐き出せたので、これはこれで、ということにします。せっかくやるようになった遊びに努力が必要になったからってやめないで欲しいなあ、とかなんとか書きつつ、ここで締め。