なんかそれで炎上するとかしたそうな
その話を聞いて盛大にナンデ!? 上がっただけで炎上ナンデ!? アイエエエエエエ!? ってしめやかに失禁しました(してません)。
とはいえ、特に話題として追ってないので、何かしらスト6でマスターランクになった人がそう発言したら炎上した、というマッポーカリプスの一側面でしか分かってないし今から調べても良く分らん。なのでとりあえずランクは上がること自体は偉いよね? という話をしていきます。その辺に関連してきた話だろうという邪推と、ちらっと腕前が上だからって偉いのかよ、という名台詞を見たのでそれが化学結合! 一つの妄言が生まれたのでそれについて記載して今日の日記としたいと思います。
格ゲー初めて三か月でマスター行ったならしっかり誇っていい派です
三か月でマスターですよ!
確実に、上手くなるよう練習して、その練習を実践できていた!
特定のマニアだったんだろ!
という謎の怒声が頭に響きまくりますが、とりあえず格ゲー初めて三か月でスト6のマスターになったのは普通にいい話です。上記のように、練習して、上手くなって、それを実践できたんなら、なんで炎上騒ぎになるのか。というのが基本的なお気持ち。その過程になにか怪しいものがあった、というのならあれですが、チートを使ったりマスター帯人力を使ったりした、とかならツッコミどころではあるので、ここが確かめられない、原著に当たれていないのでなんとも。
ああ、サブ垢という可能性はあるにはあるのか。とはいっても、他のキャラ使うと混乱しやすいわしなので、違うキャラでもマスター乗せられるのすげー、とはなります。
そう、自分以外の力を使ったなら、それは問題になるというか、何のためにゲームしているの? なんですが、自力でやったなら全然褒めていい案件です。わしなど、ちょくちょくメインキャラを変えるのもあって発売から一年半たってもプラチナム帯ですよ。グラララララ! それから見れば、大したもんじゃあないか。ってなるんですよ。
というか、シルバーになれた! という人も、ゴールドになれた! という人も、プラチナムになれた! という人も、ダイアモンドになれた! という人も、マスターになれた! という人も、全てが全て愛おしい。
わりとどんな感情回路なんですか!? マグマグ人!? 筒井康隆の。って思われるでしょうが、その人が頑張ってなれた、というのは大変いいものです。この感情からしか得られない特有の栄養素があります。
スト6で格ゲー初めて、ランクマに初めて触れて、それを上がっていく楽しみを感じていただけたなら、それは大変ありがたい。そのままランクマのやみのま! してほしい。そこで存分に苦しんで、だからそれを超えた瞬間の嬉しさを味わってほしい。そしてその先もまた、沼だったことに気づいて慄然としてほしい。
ここまで書いて自分が松井優征『魔人探偵脳噛ネウロ』の2話目の犯人のように、いい表情に加工されているのを楽しんでいるだけなのでは? という疑問に気が付きましたが、うっちゃれ五所川原。
格ゲーは上手ければ偉い
さておき、マスターになったから俺は偉いぞ! といって他人に干渉しているならアホですが、そうでないならマスターになったのは素直に称賛でいい。褒めていいんです。
で、そこから派生して格ゲーの腕前があれば偉いのか、という話が目に入り込んできました。これについては各ゲーマー諸氏に一家言あるでしょうが、わしの家の言葉では格ゲーが上手ければ格ゲーでは偉いんだよ、という風になります。
ゲーセンで格ゲー触ってた世代だから、というのもあるのでそう思うのですが、格ゲーが上手い人には格ゲーに対しては信用できる、というタイプの担保があります。人間性クソでも格ゲー上手ければ格ゲーは上手い人、という注釈をつけてみる感じですね。人間性カスだった場合は? 格ゲー上手いから敬う、みたいなムーブがないとは言いませんが、とりあえず関わり合いにならんとこ、というムーブもまたあります。
個人的にはそこまで人間性カスな人とゲーセンで知り合ったことがないので、総体としては言えませんが、遊んで楽しくない人とは何か得るものがない限りは遊ばないでしょう? 結局そういうことです。
それはそれとして。
現代のネット対戦でも同じようになるか、というとその辺はどうなのかしら、と。簡単に付き合い辞められることについてはゲーセンと比になりませんし。周りがほめそやしているけど自分は合わんしほっとこ。って簡単じゃないですか。まあ、わしの場合はぼっちなのでネットにフレンドはいませんから、そこはもっと根深い何かがある可能性も無きにしも非ずですが。
とはいえ、格ゲーが上手いと偉いのか、というのはネット時代になって更に顕著になる場面でしょう。格ゲーが強くても人間性が、というのはゲーセンなら席の向かい側にいる相手だからそれを見ておおよその見当はつけられますが、ネットだと相手見えないですからね。外ではアウトの人もいる。逆に言うと、家なら大体セーフです。そういう面で対戦すると性格変わるタイプにはネット対戦はいい環境だといえるでしょう。
偉いにもレイヤーがあってな?
話が逸れました。格ゲーは強いと偉いのか問題です。
これはあまり複雑に考えなくていいと思うんですよ。格ゲーが強い人は、格ゲーに対しては信用できる筋、という切り分けでいい。他のことは知らんが、格ゲーが上手い点だけは信用できる。そういうのでいいんじゃあないですか?
偉いのは違うんじゃない? かもしれませんが、格ゲーの上手い人を偉いと思うのは、実は結構誰もがやっていることです。
聞きますけど、攻略情報をネットで、プロの人に聞くかプラチナムの人聞くか。どっちだい! どっちなんだい!
という問いに対してプラチナムと答える人はそういないでしょう。つまり、格ゲーのことは格ゲーの腕前が上の人に聞くのがマストとされているのです。ここがポイント。
ネットは基本的には人間のマッポーカリプスの一側面しか出さなくてもなんとかなるので、格ゲーうまおの部分だけをみる場合というのは往々にしてあることです。でも、それで十分と分かっている。格ゲーのこと以外は別に深く聞かない。そういう立ち回りを我々は知らず知らずしています。
つまるところ、この観点で言うと格ゲーが上手い人は偉いのです。格ゲーという観点においては。格ゲー以外がカスでも、それさえ上手ければ、格ゲーについては信用できるから色々聞いたりするのです。
今の時代、格ゲーの部分だけその人に聞く、というのは全然可能なので、変に踏み込んで妙な仲の良さを得たりしない限りで格ゲーのことだけ聞きましょう。そこはあくまでドライになら、安心はできるはずです。まあ、仲良くなったらこいつはこいつで、というのもありますし、一概には言えないのが人付き合いですが。
そもそも、格ゲーが生まれてその瞬間から無限に強かった人はいません。コツをつかむのが早いとか、攻略の深度が深いとか、反射神経がとか、そういうのはありますが、でも今強いとされる人は修練を積んで強くなった人です。それをちゃんと偉いとするのは、一つ礼節ではないかとも思うのです。
それを3か月やっただけの小僧っこに、とかはあるのかもですが、その3か月でマスターに足る力を積み上げた、というなら、全然ちゃんとしているではないでしょうか。チートとか使ったならそりゃ叩かれても仕方ないし、わしとしても今からそいつをこれからそいつを殴りに行こうかですが、そうでないならちゃんとたたえてあげるべきです。
というか、私は称えます。どこのツイートだったのか分からないのでいいねつけられませんが、それでもここによく頑張った! でももっと格ゲーを楽しんでいってね! という気持ちは書いておきたいです。これで満足して辞め、とか言われたら流石にそしてこの諦念……。ですが。
なんか書いてたら長くなってしまいましたが、チートだった場合この話瓦解するんだよなあ、ってなりながら今回はこんな感じで。ちゃんと上がった! という人にはおめでとう! といいたいものです。
とかなんとか。