女の又に力と書いて
皆さん、努力はお好き? 結構! ますます好きになりますよ!
というネタ台詞はさておき、皆さんも重い想いの努力を日々されているかと思います。特に格ゲー界隈は日進月歩の技術や知識に追いつく、あるいはものにする為に努力をなされている方も多いと思います。
さてもさても、そうはいっても努力なんて嫌だ! というアトモスフィアを身にまとった方もいらっしゃるでしょう。その気持ちは良く分かります。
できるなら、努力なんて大袈裟な言葉をつかった行動はしたくない。筆者もだいぶそちらよりのメンタルです。その行動を使わなくていいなら使わないままがいいです。
とはいえ、筆者も現在努力としてスト6のコマンド入力精度向上修行などをしています。最近滞り気味ですが、それでもなんでいきなりそういう努力を始めたのか、という話になっていきます。
その辺の機微と、努力の効果、あるいは努力の目標というのを、適当に語っていくのがこの項となります。最終的にどういう話に着地するかはしらぬしらぬ。
ということで放談していきます。
努力するということの機微
努力というと、大変地味なことを繰り返すというイメージがある方もいらっしゃるでしょう。筆者も大体そっちよりの印象です。そして、今やっているコマンド入力精度向上修行も、ひたすら地味に真空波動コマンドを素早く正確に入力するというものです。この部分を配信しても多分人は来ないというのが如実にわかる地味さ加減です。
そういうのだるいじゃね? だった筆者が何故努力に手を出したかというのは、井上新八『続ける思考』という本を読んで、なんか継続的にすること始めよ! とかぶれてしまったのです。何か始めてじりじり続ければ、なにか身につく! というわりとふわっとした感得で、俺はやると決めているのです。遊佐春麻マインドです。
努力は面倒だ、ではあるのですが、でもなんかしたことないことして違う視点を身に着けたい、というなんか切迫した気持ちがありました。色々ギリギリなのでその辺でどうしても縁を求めてしまったという感じです。つまり何か明確な手ごたえが欲しかったのです。
何か努力したい。
でも何を?
そこで思いついたのが、スト6のコマンド入力精度の話。前にYoutubeでプロの方が入力精度を鍛えたらいいのでは? というコーチングを受けていたのが記憶にありました。コマンド入力精度があれば格ゲーでは色々捗る。それをやってみようとなった訳です。
で、とりあえず本の言であるとりあえず小さく始める、色々合わせてやる、というのを真に受けて、Youtubeで10分程度の動画を見ながら練習、動画終わったら終わり。という風にやり始めました。
これが中々続きました。短くするのと動画を見ながらがやはり効いています。あまり長々やっても効果があるかも怪しいし面倒くさくなるので、動画が終わったらさくっと終わる。その辺の決め方が、面倒だけどどうせ動画見るし片手間にやろう。という導入と合わせていい効果があった模様です。
努力の効果
努力に効果はあったか、というと対戦ではあまり効果を感じません。まだ二か月程度しかしてないので、今までの格ゲー経験の積み重ねであるコマンド入力の癖というのがすぐには抜けるわけもありません。なのでここで入力して割り込むー! とかは全然まだできません。まだできる気がしない。
なら努力してなくても変わらんのでは? となられるでしょうが、しばし待たれい。効果自体はあるんですよ。
それがスト6のコンボトライアル。筆者は無駄にコンボトライアルをやっているもので、いつかコンボトライアルRTAとかやってみようかと思って日々精進しています。その派生としてスト6コンボトライアルTier表とか作ってみたりもしましたが、さておきその部分でのコンボ精度が高まったのです。具体的にはコンボクリアが安定してきたのです。
今まで、わりと真空波動コマンドが絡む時はなんとかなれーっ! とちいかわ台詞が出ることが多かったのですが、そういう変な気負いがなく、すっと真空波動コマンドが出るようになったのです。
これはちょっと思ってなかった部分です。単純に割り込みとかに使えるよう修行していた訳ですがそこはまだ至らない。だというのにそれがコンボの方で成果が出るとは。
この成果を感じたおかげで、コンボに対してあったちょっとした、しかし無視できない自信のなさが結構払拭され、むしろ自信が湧いてきたのです。
努力の目標
割り込み、弾抜けとかに使う為に練習していたコマンド入力精度修行が、結果としてコンボに対する自信につながるという訳が分からない展開になった訳ですが、実際のところ努力の目標というのは意外と曖昧でもいいのかもしれないというのが、最近努力してて思うことです。
そもそもの話として、確実にそれが手に入るから努力する、というのはちょっとお門違いなのではという地点に到達しました。筆者の場合は立ち回りですぐ出せるようにしようとしたら、コンボ精度が向上した、というのでわりと何が何だかですが、そういう風に努力が違う方向で実になる、というのは結構平時で起きるのかなと。
つまり、確実にアレを手に入れる! という努力は確かにあるけど、そういうのばかりを狙いすぎるのもよくないのでは? と。あんまり成果を求め過ぎると、筆者のように違うとこで効果があっても見逃してしまうのでは? とも。
筆者としても、狙った効果がまだ手に入らないので少しダレ場になったりしましたが、コンボ精度が高まっていて自信にもなっていると気づいて、『キン肉マン』のウォーズマンがマンモスマン対策を努力してしたけど通じないという過去がありつつも、その先の話でその努力が活きた、という話に近い何かを感じました。
だから筆者は狙って努力するのは当然なんだけど、でもそれが中々手に入らなくても副産物はできているかもしれない。だから努力の目標はある程度融通無碍にした方が精神衛生上よい、と考えます。
そもそも、努力は必ず成果を出さないといけない、というわけでもないのかもな、とすら思います。努力して、でも成果が得られない場合もある、というべきでしょうか。人生を賭けた計画でも失敗するのは普通なんだから、それより達成のラインが低いことは尚更。
あるいは、必ず成果を出さないといけない、というのが思い込まれている、というか。実際には努力したからと言って成功するとは限らない。だから、成果が出なかったらダメの烙印を押される気がして、努力? ふーん。ってなるのかも。
結局、失敗が怖い。努力までして得られなかったら、というのが怖い。そういうことなのかも。時間というコストをかけて、努力が実らないのが嫌なのでは? とかもあります。
筆者の場合も、立ち回りで素早くコマンドして有利にというのは達成してません。そういう意味では今のところ努力は失敗しています。
でも、コンボの方に自信がつくという別方向の成果はありました。そういう風に、欲しい成果物の視点以外の視点では何か得られている場合もある。努力はもうちょい幅広く効果を見るといいのだ、と放言したいところです。
だからもっというと、努力というのは効果はあるが、狙った効果はでないかもしれない。でもしただけなにかはある。なので、努力が苦手ならまず取るに足りない簡単な努力をしてみて、それで成果がどう出るか感得してみると、努力に対して
見方が変わるかもしれない。
とかそういうのを、慣れない努力して感じました。現場からは以上です。