格ゲーに逃げ場なし
みなさん、他責思考ですか? それとも自責思考ですか?
どちらもどちらでもいい面と悪い面があるのは現実のよくあることですし、実際どちらもゼロにはならないし、かといってどちらかが多すぎてもよろしくない。究極するとバランスの問題ですが、とはいえどちらかに偏りがちな人も多いのが昨今でしょう。
特に他責思考はある程度なら当たり前にあるべきものですが、度を越すと自分の問題すら他人のせいとしてしまいます。これはよくねー。
なので、その反対の重し、自責思考を養う方法として格ゲーをしてみよう! という話です。でも、そうしようと思えるやつはそもそも自責思考だよ、という視点から目を背けて、それではいってみましょう。
他責思考は女々か?
他責思考は悪いか、という問いに対しては先述した通りバランスの問題です。よしあしはそことは別ベクトルです。
他責が少なく自責が多いとメンタルに支障をきたしやすくなります。自分が関係が薄いことに心を砕くのは精神的によくねーのです。
逆に自責が少なく他責が多いと人との軋轢が多くなります。自分のせいなのに他人にあたる、詰め寄るとかは実際迷惑行為です。
とはいえ、自責と他責は天秤の両端なので、どちらも無くすのは難しい。あるいはできないかも。
そしてそれだけでは悪くない。自責も他責も、どうしてもあるものです。なのでいい均衡を保つ必要があります。
そこで他責が強いという自覚があってもそれオンリーにならないようになれば問題は薄くなるはずと思うのです。
ということで、ここでカウンターウェイトの自責が養える格ゲーを勧めるという謎の地点に到達したのです。
何故格ゲーで、か
格ゲーを自責の涵養にあてるというのには当然ですが理由があります。といっても話は単純で勝敗の理由がダイレクトに自分に返ってくるからです。勝ったら自分のおかげで負けたら自分のせいになる。それ以外がないのが格ゲーです。自責的にならざるを得ないのです。
チーム戦なFPS、TPSでは自分のせいで負けた、という部分はちゃんとありますが、他人が悪かった、仲間が弱かったという逃げ道があります。実際に仲間内でボイスチャットしつつ、でも他人に敗因をなすりつけたりはよくあることです。いわんや、野良をや。
そういう部分で自責が少なくできる、というのもチームゲーのいいところではあります。無闇に自責が溜まらないのはやはり優れています。しかし、それを大きく活用しすぎて他責に振り切ってしまうのは問題点でしょう。
でも、格ゲーはどうあがいても自責がほぼ全てです。他人のせいにできる部分がなくはないのですが、結局はそれでも負けは己のせいでしかない。ゆえに自責を学ぶには格ゲーはうってつけなのです。
自責思考の学びストレート
格ゲーの肝である勝敗は、非常にシビアです。強いものが勝ち、弱いものが負ける。この冷徹な掟はどうしたって覆りません。
なので、勝敗の機微が自分に強くかかります。なので、他責思考はここではまるで使えず自責のみで格ゲーはしなくてはなりません。ゆえに、格ゲーは自責思考というものの学びを直接的に促進するのです。
そこまでして格ゲーしたくねえ! という言葉は出ると「それは、そうなんですが……」とオッサム台詞になってしまうのでここでは禁句とさせていただきます。それでも格ゲーしたいという人向けです。
それにこのデカい自責はどう処理するか、というのが分かればだいぶ楽になるとこです。自責はあるべきですが、過度にしてはいけないのです。3回目ですが、要はバランスなのです。
格ゲーで自責を学びつつそれをしすぎないムーブ
格ゲーは自責が強くなる遊びです。一対一ゆえ勝敗に対してごまかしは効きませんから。なので突き詰めすぎると自責で潰れることもあります。
そういう過度さには、当然対応策が必要です。
で、これにはわりと簡単な解があります。
それは勝ち負けにこだわりすぎないことです。
何言ってんだ! ふざけるな! トイストーリーが!
となる人もいるでしょうがまあ待ちねえ。
格ゲーの肝は勝敗ですが、そこに過度にコミットするべきではないのです。勝ち負けには当然こだわりたいでしょうが、それを第一義にするのはプロゲーマーからであって、格ゲーを嗜むくらいならそこを重要視しすぎても益はありません。適度に適当。それくらいがいいのです。
実際問題。格ゲーで自責によってメンタルやっちまうのは大体勝ちたすぎずからです。負けたくないー! とヘルカイザーメンタルになるのも一概に悪い訳ではないんですが、ヘルカイザーレベルで勝ちに飢えるのはヘルカイザーを見て分かる通りだいぶ病んでいます。なのでそこまで追い込む、勝ちに重きを置きすぎているのはよくねーのです。
勝ちの価値 負けの価値
では何故勝ちに重きを置きすぎるか。勝つしかないと思ってしまうか。というと、それは負けに意味を持てないから、と回答できます。
もっと簡単にいうと負けていいのが分からないです。
というか、大体なんでも基本は負けるものです。負けたくない―! は確かに誰でもそう。そして誰でもそうなのです。その負けたくないー! で実際勝てるのはヘルカイザーだからで、普通の人はやはり勝てない場合が大体です。
もっと言えば、勝つ人がいるということは負ける人のだから、誰しもどこかで必ず負けます。なので、その負けを怖がらないのがもっともメンタルを正調に維持するために重要なのです。
それに、負けには価値があります。例えば負けに不思議の負けはないという名台詞もあります。勝つのは不思議な勝ち方はありますが、負ける時は何故負けたか納得できる要因がある。さらにいえば、その負けの要因を潰せば勝ちに近づける訳です。つまるところ、負けると勝てるようになる、ということです。
そして、いい? ここからが重要よ?(ブラックマンバ仕草)
基本負けるという事実を受け入れると、メンタルをきたさなくなるのです。
負けるというのは精神的にきついことですが、そのきつさをある程度あると受け入れることが、結果的に負けのきつさを軽減するのです。つまるところ負けの価値とは、それは当然あることであるという理解によって負けを楽にしてくれることなのです。
とはいえ自責はほどほどに
負けることを受け入れると、格ゲーは大変楽しくなります。繰り返しですが、負けたくないー! とヘルカイザー仕草するのがよくねーのです。負けは当然あるものとして、負けたらどうして駄目だったか自責する。そうするのが精神衛生上よろしいのです。
とはいえ、ここで自責を強くしすぎないのも重要です。散々っぱらいってますが勝てないというのに自責しすぎてはいけないのです。だから、負けても当然、というくらいに適度な自責をかけるのが丸い行動といえるのです。
この適度な自責をするようになれば、他責もバランスよくなる。自分の責任がどのくらいあるか分かれば、他人に責任がある部分もよく見えるわけです。
その為のバランス感覚を養うのが、格ゲーの在り方でもあるのではないか、などとわりとグルグル目しながら書き綴った次第です。わりと考えていたことが書けたのでさっぱりしました。
ということで、みなさんも格ゲーして、自責と他責のバランスを整えてみましょう!
とかなんとか。
