感想 山口貴由 『劇光仮面』1巻

劇光仮面(1) (ビッグコミックススペシャル)
劇光仮面(1) (ビッグコミックススペシャル)

 大体の内容「ある特撮オタの……」。何なのか、それがまだ分からない。そんな謎めいている訳ではないのに、なんだか訳が分からない。それが『劇光仮面』なのです。
 特撮に対してなみなみならない物を持つ実相寺。彼は友人の弔いとして何かを為そうとしていた。しかし、それは何なのか……。
 山口貴由先生といえば、で『シグルイ』が浮かぶか、『覚悟のススメ』が浮かぶかでわりと好きの位相がわかるところがあります。個人的には『シグルイ』も大好物ですが、『覚悟のススメ』もまた大好物です。
 片や陰惨無残な救いのない時代劇。
 片や陰惨無残ながらややコミカルもあるSF劇。
 今回はどちらに振れたか、というのは、解としてはどちらに振れているか分からない、というものです。あるいは新たな軸なのかも。
 ということで、今回の話は現代劇です。超科学も、超体術も存在しない。あくまで現代科学的に可能、と言うレベルの話に終始している、現時点では。という形です。
 何故言葉を濁すのかという点については、いつどこか違う方向にかっ飛ぶかもしれない、というギリギリのラインを、この漫画が歩いているからです。タイトロープ、などと言える生易しい物ではなく、真剣の上を歩いている、と評せるレベルです。何か、異様な緊迫感が、常にこの漫画に秘められているというべきでしょうか。
 これに関しては、主人公格らしい実相寺という男が、やたらストイックで且つ、意味不明なくらいにひたすら引き絞られた弓弦の如く緊迫感を持っているからです。簡単に言うと完全にガチなんですが、ガチ、という言葉でもくくれない何か異様の者、もっと言えば異形のモノという趣きすらあります。
 この緊迫感についての理由は、1巻では明かされません。傍証と言えそうな、後々検証に使えるであろうネタは各地にばらまかれていますが、それがまだ何を示すのかが分からない。
 そのキンキンに、痩身で鍛え上げられるギリギリを鍛えている理由も、1巻段階であるように見えて、そこが降りる地点じゃないのでは? という雰囲気があります。ただそれだけの為にやる訳がないと思わせる何かが。
 しかし、その何かが分からない。
 そう、この漫画は分からないのです。
 1話は実相寺の内心の台詞から幕を開けますが、その内心の台詞も、友人たちに対するようにどこか用意していた言葉のようで、大変胡散臭い。いや、実相寺は実相寺で誠実ではある。んだけど、何かを秘めている。友人に対する言葉を用意して、実行している時点で、何かあるしかない。しかしそれはなんなのか。
 そして、この巻の最後のコマの意味することは何なのか。実相寺に一体如何なる過去が、あるいは現在があるのか。
 そこの所が全く分からない。
 そしてそれ以上にこの漫画が何をする漫画なのかが分からない。
 だって、この巻では、特オタ仲間の遺言の通りに特別あしらいのスーツを裁断してくれ、というのをやっていくだけなのです。あとは想っていた相手と大学散策とかなのです。まんがタイムきららキャラットの猫にゃん『ニチアサ以外はやってます!』かよ! なレベルの話に終始します。わりと、え、それだけ? というのを読み終わって感じて呆然としました。しかし、それだけのことに対する緊迫感の度合いではないのです。
 これは煙にまくというのではありません。そこに語らない部分がある以外は、話の流れは誠実です。情報をじりじりと小出しされて、え、それだけとかしてきますが、嘘を設置してはきません。勝手にこっちがはてな? となるところを、じりじりと見せてくる。それが精密であるがゆえに、よくよく考えるとスーツを遺言通り破壊する、というだけの展開をほぼ丸々1巻分持たせているのです。
 これはちょっと並々ならない。それが才能なのかと言われればそうでしょうが、ここで帯の”真の才能”というのが思い出されます。
 まあ捨て置きます。山口貴由先生は才能の宝庫なんで、新しい才能くらい湧いて出てきますよ。という狂信者ムーブです。
 しかし、ではこれはどういう才能になるか、というと、個人的はホラーの方だ、という認識をしています。特に、端々に不穏さを忍ばせるJホラーの様相とでも言えましょうか。
 それは1話目から、実相寺の家の、何かを寝かせてある布団、それも白布巾を掛けて、というので、その後の実相寺の用意した台詞を吐いていくという展開もあって、いきなり不穏な気配が察せられます。
 一応、これはそういう意味合い、白布巾から考えられるダイレクトなものではなかった、と言うのは後に分かるし、意味も分かるんですが、でもやっぱりそれはおかしくねえか? という実相寺の謎さに拍車をかける形になります。
 とにかく、実相寺の不穏さ、何かあるが何があるのか分からない、という部分が、この漫画の読み味の最大値として、不穏さをもって常に読後感へ影響してくるのです。
 それ以外でも、実相寺が久しぶりに大学に行った回の、謎の怪人のいるその話のラストカットとか、実相寺が不穏ゆえにどうしても何かあるのか!? と身構えさせられる。特にそういう、人を襲う怪人がいる訳でもないのに。
 この不穏の積み重ねこそ、Jホラー的、と勝手に言ってしまいたくなる、この漫画の特色と言えるでしょう。俺、山口先生のこと凄いと思ってたけど、実際はもっともっと上の存在だったんだなあ! って勝手に持ち上げたくなるところです。
 さておき。
 ぶっちゃけて言うと、この漫画は怪作という評価を得そうなアトモスフィアがあります。実際に何かを動かす、何か駆動系というものが分からないまま、しかし不思議システムで動いているというの漫画なのです。ただ、山口貴由先生の漫画力だけで、何も先の見えぬまま、我々はこの漫画を読まされているという。
 「怪」以外の何物でもない作品なのです。
 今の所、これは何か分からない、なんだ? と言う部分だけという不思議システムを駆動系としている、というべきでしょうが、それで漫画を出来る、という段階で山口貴由先生は一線越え済みです。
 今までも線は無造作に越えてきてましたが、ここまで精緻にして無所作でしてきたのは初めてと感じちゃうレベルです。ここまで何が起こるか分からないことだけで、って無茶苦茶じゃないか実際。
 さておき。
 そういう訳で、山口貴由先生のNOW! が見れるがゆえに、その手腕の凄さに打ちのめされるのが、『劇光仮面』の無茶苦茶なところなのです。いやほんと、何で話が持つのかよく分からん。どういう漫画なんだこれは?
 とかなんとか。