格闘ゲームと私

どこから来た?

 これは、アークシステムワークスバトルプランナーの求人の提出書類にあった、「格闘ゲームと私」というお題を見て、なんか書きたくなってしまって、かかっとやったものです。
 応募すら考えましたが、書いたら「これ書きたかっただけだな」になったので、そういう方向には行きませんでした。
 とはいえ、これをそのまま放置ももったいない。と思ったので、ここに上げて供養とします。
 前置きはさておき、それではいってみましょう。

書き出ししつつ宣言

 私にとって、格闘ゲームとは癒しです。
 これを意識したのは、奇しくもこの「格闘ゲームと私」というお題を見て、そして考える行為からでした。
 自分は格闘ゲームが好きです。愛してるまで普通に、てらいなくいえます。恐らくですが、このお題を考える人すべてがそうであるように。
 そういう中で、自分の中の格闘ゲームというのがどういう立ち位置にあるのか。それを考えていった結果、「格闘ゲームとは癒し」に辿り着ました。
 バチバチに殴り合うのがその様態のすべてである、熱い方面の格闘ゲームで、何故に真反対ともいえる、ぬるい方面の癒しだというのか。それについて詳述させていただきます。

なぜ格闘ゲームが癒しなのか

 先に書きましたように、私は格闘ゲームをする事で癒しを受けています。そして、これは個人的にはそれほど頓狂な事象ではないと思っています。
 可愛いものをふれて癒されるのも、美しい情景をみて癒されるのも、美味しいものをたべて癒されるのも、ゴリゴリの起き攻めが機能させて癒されるのも、私にとっては等価です。
 通常、癒されると言われるものとは違うように見えて、これは軌を一にすると私は考えているのです。
 何故このように考えるのか。格闘ゲームとは、実際に思考し訓練したものが、実行できたことで正しいかどうか判定されるもの。そして、それが癒しに繋がっているからです。
 癒しになるものは色々ありますが、どれもそれを堪能したら気持ちがいい、気分がいい、というものです。行為に対して、それを行動する以外にも良い精神的効果を感じられる。付属で、更なる効果を勝手に覚えるもの。これが癒しです。
 つまり、やってて気持ちよければ、満たされれば、格闘ゲームでも癒しはある。そう言いたいのです。

格ゲーの癒し

 では、格闘ゲームの癒しとは何か。
 まず、先述していますが、例えば自分の考えた起き攻めの戦法がしっくりきた時。
 相手の起き上がりタイミングをきっちりと理解し、こちらの技の選択もきっちりと理解しての答えが起き攻めの結果にあらわれます。
 そして、起き攻めとして立派に通用するとなるこれは、控えめにいっても気持ちがいい。つまり、癒されます。
 次に、対空がしっかり出来て、その後の追い詰める展開に持っていけたとき。
 相手の動きを見るのと、その行動を咎めることのできた証拠で、そしてその後の行動でとちらなくもなっている。
 対空することの最大にして最重要なのが出来ているという証左。それが分かれば成長を感じ、当然いいテンションになります。つまり、癒されます。
 また、難しいコンボが成立したときも癒されます。今までのコンボ練習の成果でもありますし、実戦で決まっているならもう今後は抜かりなく決められるのも間違いない。
 そしてそのために磨いたテクニックの研鑽具合と、今までかけた時間が顕在化すればするだけ、その厚みによって無限に気持ちよくなります。
 相手への読みが当たったときなどは、癒しの最上級があります。
 人が絡む対戦事ゆえ、したいことをしようとしてもその相手は自分ではない。ゆえに何をするかわからない。
 しかしお、互いの理と理がぶつかった反動で刹那に生まれる、この行動する、という読み。これが当たればそりゃあもういくらでも機嫌がよくなります。
 そもそも、自分のキャラを対戦のテーブルに上げるまできっちり練磨し、それを実際に対戦でみせつけるのもアガる事態です。
 大体の話、こちらができることは沢山ありますし、相手の動きもあります。その中で使用キャラクターを自在に動かせるようになった、そう感じられたときは、嬉しさと共に大いに癒されます。

永遠じゃねえ、無限だよ

 勿論、格闘ゲームではネガティブなこともありますし、癒されない場面もあります。あるいは、普通に考えるならそれのほうが多いかもしれません。
 例を挙げるなら、相手に対処のよく分からない行動を押しつけられれば、なんだよ! な怒りの状態になりますし、それで流石に癒されるとは言えません。
 しかし、このよく分からない行動を解析し、わかるようになり、返せるようになったら?
 これはまた癒しです。わからんでやられていた行動に、明確に駄目をだせるのです。それも、できるようになれば何度でも。一回傷ついたからこそ、ここでより大きな癒しとして立ち上がってきます。研鑽が傷を癒やすのです。
 他にも、コンボが全然できなくて、その練習に時間を取られるのも、通常でなかなか々癒しとはいえません。
 対戦したい、けどこのコンボは流石に出来るようにならないと、今後において問題だろう。そういう中でやる義務的なコンボ練習は、それ単体ではやはり癒しではありません。
 しかし、これは練習段階だけで見るとそうなりますが、先述の通り、その時間があればあるほど、最後には癒しとして屹立してきます。
 ここなどは、このイライラすらいつか癒しに繋がるとわかっているので、むしろもっとイライラさせてくれ。そう思うようにすらなっている場所です。ある意味では既にこのコンボ練習の段階で癒されているとすらいえるようになっています。
 ここまでくると、イライラや鬱屈すら最終的に癒しになると分かるようになり、畢竟、もっと負荷をかけてくれ! という段階まで進んでしまいます。少々のイライラはかえって癒しを味わうためのスパイスとして機能するのです。

なぜ癒される?

 しかし、なぜこうまで訓練されたように格闘ゲームで癒しを感じるのか。というのが書いていて気になってきます。
 これについて勝手な説を唱えると、格闘ゲームには人生の如くどうにもできない理不尽が少ない点があげられます。格段に行いやすい。
 そして自分の学習がダイレクトにでるからすぐ気持ちよくなる。
 そういうのがあるのではないかと思っています。
 人生とは大きくでてみましたが、しかし、これは偽らざる本音です。他の癒しも、大なり小なり、なんともならない人生の中で、落ち着ける、一息つけるものです。そこに世知辛いものはなく、だから安心して浸れるのです。
 この浸れるの部分、格ゲーの場合は他の癒しとは少し違います。ここでは自分の努力が報われる、というタイプの癒しです。なんともならない人生の中で、自分でなんとか出来る、操作感が持てるのが、格闘ゲームなのです。
 そして、だからこそ癒える。世の中の大きな荒波に揉まれても、引っ掻き回されても、ここは変わらず自分の動かしたい様に動いてくれる。自分の考えが、普段より強く的中する。それが反映される。
 この、自分でも操作できる感覚、自操感とでも呼ぶべきものが、格闘ゲームの癒し、と言えるのです。

格闘ゲームであれかし

 ここで、それなら別に他のゲームでもよいのでは? と思われるかもしれません。
 それも確かにその通り。例えば無双ゲーでバッタバッタ倒すのでも、問題ないはずです。実際、ワタクシ、無双ゲーも好物です。
 では、何故そこで格闘ゲームなのか。何故、格闘ゲームに癒しを見るのか。
 これは単に私が一番やっている癒し行為が格闘ゲームだから、という側面もありますが、それを抜いても格闘ゲームが癒しに対して有意に効果があると思っています。
 特に、ロジカルの面でそれが顕著です。作品の論理を考え、それに基づいてキャラクターの動かし方を最適化していく。格闘ゲームの攻略は詰まる所、そういうものです。
 ここに、対人戦ゆえの読みあい、ブレなどがあるわけですが、根っこはロジカルです。これは他のタイプのゲームもそうではあるのですが、格闘ゲームは特にこのロジカルさが作品の味としてダイレクトに出てきます。
 そして、そのダイレクトさゆえに、格闘ゲームはやりこみ、つまり努力に応えてくれる。そのゲームにおける正しい努力ではないなら、すぐにそのこと勝てないという事実でわからせてくる。
 そういう努力に対する部分が、対戦を通じて素早く、それも白黒ハッキリと出るのが格闘ゲームだと考えています。
 1戦1戦で素早く照応して、どうやったら勝てるか、あるいはなぜ負けたか。そこを詰めていける。それが、もしかするとこの「格闘ゲームは癒し」の一番の部分かもしれません。
 色々ゲームはありますが、格闘ゲームほど瞬間瞬間が重要で、しかしその土台がかなり長期スパンを持ったものであるゲームはありません。
 そして、その瞬間瞬間で得たものを高速でフィードバックしていく作業で地力を付けていくゲームもありません。
 とても断言しましたが他にもあるかも。しかし、個人的には格闘ゲームほどそれが顕著にあるのは知りません。
 格闘ゲームはダイレクトであり、パワフルであり、ロジカルであり、そしてだからこそ癒しなのです。

最後だからなんか書いとけ

 ということで、格闘ゲームは癒し、という話でした。個人的には完全に本気でそう思っています。
 最近だと、GGST、『GUILTY GEAR -STRIVE-』に完全にドはまりしているので、その感覚は顕著です。
 しっくりくる格闘ゲームに当たってなかったのでだいぶ鈍っていたのですが、やりだしてから充実度がかなり爆発的な上げ幅を記録しています。
 それで思うんですけど、やはり努力は楽しいものだなというのですね。
 上でも書きましたが、コンボ練習の焦れったさも、その後のコンボの導入していける感覚を得る為だと思うと、無限に癒しになる。
 永遠じゃねえ、無限だよ。
 って感じでですよ。
 なので、この格ゲーから味わえる癒しというのは、実質無限である、といういいかたも可能でしょう。過言ですが。あるいはマゾなのでは? もありますが。
 でも、格闘ゲームで癒されているという自分の状態は嘘ではないので、だからたぶん、無限に癒される可能性はあるんですよ。戦って考えて戦って考える。そういうサイクルに入れたら、たぶん格闘ゲームは無限。
 とかなんとか電波飛ばして、今回はここまで。
 したらな!