ネタバレ?感想 イダタツヒコ:広江礼威 『BLACK LGOON 掃除屋ソーヤー 解体!ゴアゴア娘』2巻

BLACK LAGOON 掃除屋ソーヤー 解体!ゴアゴア娘(2) (サンデーGXコミックス)
BLACK LAGOON 掃除屋ソーヤー 解体!ゴアゴア娘(2) (サンデーGXコミックス)

 大体の内容「ロアナプラは今日もロアナプラです」。東南アジアの暗黒街、ロアナプラ。その闇の中で特に懸命ではないけど、それなりに大変ながら生きている面々の話。それがブラクラスピンオフ、『掃除屋ソーヤ― 解体!ゴアゴア娘』なのです。
 今回はシェンフォアやロットンが結構出る回もありつつも、基本はソーヤ―の掃除屋としての仕事がメインとなっています。当然、その導線は色んな方向からなので、単調ではなく、突然出てて来た893との出会いと別れの回とか、突然出てきた同業者との愁嘆場とか、あるいはロアナプラの歴史の一部としてロベルタ禍の時の話もあったりと、バリエーション豊かに綴る話となっています。
 個人的にに好きなのは墓守バニー・ザ・アンダーテイカーちゃんが出る回、それも二回ともです。
 一回目は初登場回ですが、ソーヤーと仲がいい、というだけで大体の読者がこいつ、ヤバイ! となるところを全くその通りでさあ! してくる様などが最高です。そして、近接武器最強まであるシャベル使いである、というのもちゃんと魅せてきます。当然研いでますが何か? って感じで首ちょんぱしてました。こうも勝手にロアナプラにヤバイやつ増やしていいのか!? 案件を易々とくぐっていく様は壮観で、流石ロアナプラ、と超強引に納得させられます。墓守と言いながらソーヤーが墓荒らししてるのも黙認してたっぽい辺りのグダグダなとこも最高。ヤバいとこのヤバイ役にうってつけの存在です。
 二回目は、また突如出てきた。ソーヤーのご同業、単純に掃除屋ではなさそうだけど、なドクター・ヤコブと親子っぽい関係だね! ってやっているところですが、そこで当然ドクター・ヤコブが悪い意味で患っており、そこで性癖を開陳してソーヤーの命を狙う、という展開にぶち込まれます。丁度ロベルタ禍の頃だったので、その頃ソーヤーはそういう目に遭っていた、ということでそんなミッシングリンクの埋め方ある!? ってなるところです。こんなミリキ的なキャラがその頃何もしてなかったことがある訳ない! ってのは分かりますが! 大体、ドクター・ヤコブ性癖尖り過ぎだろ! どっかのドメスティック・キラーより尖んがっとるわ!
 さておき。
 個人的に再び好きな回というか、趣向が面白いと思ったのは、モキュメンタリーPOVぽく、ソーヤーが持ってきたカメラでの視点のみで描かれる回。シェンフォアやロットンのプライベートショットなどもありますが、特にロットンの基本的に奇行とゲーマー度が光り過ぎてました。ロットンて、こいつどこまでもマジなんだけど、どこまでもバカなんだなあ、という感想がするっと出てくる奇行と、そのせいでバタバタしなくてはならないシェンフォアの苦労っぷりに頭が下がります。これだけロットン達が自分の家にズカズカ、それもとうとうロットンが謎の友人を連れ込んでいて、ってなってて、完全に寄り合いの場となってる感じなのが、他人事なので大変面白かったです。普通の漫画では出来ないような、カメラだから、という言い訳がかませる特殊な視点も多く、そういう意味でチャレンジブルな回だったとも言えるでしょう。
 さておき。
 1巻ではスーパーナチュラルというか、不思議な話も多かったですが、今回はその面が少な目でした。と言ってないではなく暴力教会のエダと遭遇した、意味不明の状況はすんごいスーパーナチュラルな話でした。いきなり頭がおかしくなったやつのせいで人殺しの場となった教会で、突如巻き起こる霧と謎の人影とのバトル! そしてエダの目の前に出てきたのは、いつだかの、エダをCIAと気づいたあのカウボーイハット! それをチェンソーでぶっさすソーヤー! というとこでエダの意識は遠のき、気がついたらただ最初の死体だけが並んでいるという状況に。完全になんだったんだ! な回ですが、そこがいいんだ……。本当になんだったのか分からないまま終わるんですが、本当そこがいい。素晴らしい。理由? 知るかタコ! みたいなぶん投げ具合。これこれ! イダタツヒコ先生の訳の分からない話最高!
 そんな訳で、ソーヤーの日常を追うだけで話が出来てしまうような、こんな芳醇なキャラだったのか、というのが、『掃除屋ソーヤー 解体ゴアゴア娘!』なのです。

 道。あるいはダー様の言葉を愛でる回

ガールズ&パンツァー リボンの武者 15 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

この項について

 以前からずっと自分の中だけの懸案というのがあります。誰しも持っているものでしょうが、私の場合はオタク教養とは、というものです。あんまり競合相手がいないのもあり、参考文献があんまりなくて大変困っているので、オタク教養について詳しい方がいればお教え願いたいと想いっている次第であります。
 というのはさておき。
 タイトルの話をしましょう。道です。ミチではなく、ドウ。道の話です。これも、オタク教養の話とはわりと近接した事案であります。常々、ここも掘らないと、と思っていつつも、近接出会って緊密ではないので、するすると抜け落ちている部分であります。
 それでも偶に考えるのは、オタク教養という部分を考え続ける動機付けである、唐沢俊一鶴岡法斎『ブンカザツロン』の道の話からです。詳細に語るには読み込みが足りていないのですが、それでも受け取ったこととしては、オタクなら道じゃなく術じゃね? というシークエンス、あるいはクエスチョンです。オタク道ではなくオタク術、という意味合いですが、その点から、オタク教養を気にしつつ、道とは? 術とは? ということに思索を向けることがあるのです。
 で、じゃあ道ってどうよ。な訳ですが、この見解について、私の思考とわりと近い指摘がされている漫画があるのです。
 ということで、野上武志ガールズ&パンツァー リボンの武者』15巻でのダー様ことダージリンさんの言葉を引きながら、その点について適当に語って行きたいと思います。
 というのがこの項となります。

ダー様(の言葉)を引きながら

 さておき、リボ武者について知らない人もいるでしょうが、その辺はググれ。と某トン教授顔をして、さぱっと済ませてしまいます。これは私が思考をまとめる為の側面もある項なので、完全に自分が気持ちよくなるように書いていくのです。
 なので、リボ武者知らん、という方にはそうですか。ここ*1でも読んでくれなさい。と素っ気ゼロ戦略を取りたいと思います。ついてこれるやつだけついてこいっ! 精神です。
 前置きが長くなりました。ダー様の道についての話です。やや長だな……?ですが引用します。

軍事技術を習い事化する為の方便 「道」
 しかし道を名乗った瞬間に実戦性は失われ
「文化」…もっとあけすけに言えば「お遊戯」となる……

その先は様式化――様式化(シミュレーション)… 「ごっこ遊び」を突き詰めるのか
 競技(スポーツ)化… 「勝ち負け遊び」を優先するかの選択に迫られる

この矛盾するふたつをなんとか両立させるために――
 「道」という権威のオブラートでくるんでふんぞり返れば

カルト集団○○道の
 できあがり
 
伝統や不文律は権威づけのための道具に過ぎないのだけど――
 これらの始末に負えないところはね…

さらなる権威を求めて自己目的化し
 勝手に増えていくのよ!
野上武志ガールズ&パンツァー リボンの武者』15巻P143~P147)

 本当にやや長だな……?でしたね。しかし、私の考えている道について、わりと手堅くまとまっているので、こうやって引用させていただきました。
 詰まる所、道とはある種権威、これを通せばいい、という地点である、とダー様はいうのです。その後で。でも権威っていいもの! ってなる辺りがダー様の、野上武志版ダー様の味わい深い所だと思います。これは後述します。
 さておき。
 どうしてこのような言葉がダー様から出るか、というのは、めっちゃ混みいった背景があります。それはこの台詞の時の背景に出ている、ダー様の先輩、アールグレイさんが関係しているのですが、このアールグレイさんは吉田創ガールズ&パンツァー プラウダ戦記』にて出てくる、つまりガルパンユニバースのキャラクターなのです。それだけでクロスオーバー! という状況なのですが、ここで面倒なことにリボ武者とプラウダは微妙に世界線が違う、という処理を、プラウダの方にリボ武者のキャラが出た時にされてしまったのです。
 ここにおいて、ガルパン世界の微妙さが浮き上がってくるのですが、それは完全に余談でした。タハハ。
 さておき、そのアールグレイさんというのが、ダー様のいう所の権威にぶん乗りしていたのです。それで圧政をしいていた、とかではなく、目星をつけた相手に上から目線の、そして風変わりな指導をしていただけなのです。しかしそれでもダー様には、あれ訳分からんかったな、という状況であったのが、この台詞の時の振る舞い、その後のローズヒップさんのツッコミも含めて分かってきます。あれが権威に乗ったやつのやり方だ、と言外にやっているのです。*2
 話が混乱してきました。まだ混乱します。
 つまり、あれが、上から今までのやり方を教導するのが、道のやり口だ、という風に私はそこは捉えています。こうあれかし。そう言ってしまった方がよいでしょうか。

どうして道?

 そうあれかし、として形を決めていくのが、道の基本的な作用と言えます。やり方を、きっちりと分かり易い形にして、残していく、という。これは術ではなく道にならないと生きていけなかった、という部分もあります。
 受け売りですが、何故武術が武道になったのか、という点が意外とキーになるようです。戦車術もあったけど、道になったのだろう、という推察のまま喋りますのでご容赦を。
 まず、何故武術が武道になったか、というのは、結局武術では生き残れなかった、ということだという話があります。
 武術自体、昔から連綿とあったのですが、明治に入り、武士階級がなくなる、という状態になります。それ故に、それまで武士階級のステータスだった武術、というものが一気に廃れ始めてしまったのだそうです。武士階級という最大手のパトロンが、士族としては残ったけど、そこにある術としての武というのが消えてしまいかけた。
 そこに生まれたのが、武道、だったというのです。そうです、武道ってそんなに歴史長くないんです。明治大正期くらいから始まったものなのだそうです。
 武士階級のステータスであり、急場にあれば使われるものとして残っていた術としての武は、その最大パトロンがいなくなり、しかしそういう武の形は、色々な作用があるゆえに残ってもいいはずだ、というのから、道へと転じていくのです。
 実際のところ、術は術としての使い道がないと死滅してしまう、というものなのだ、という話にもなります。そこはまあうっちゃって道の話をしましょう。
 道が何故お遊戯みたいな地点に行ってしまうのか、というのは、道として編纂していくうちにその流れで固まっていった、ということの模様です。ダー様の言う、権威を自己目的化する、というのは弊害ともいえるものですが、そういう権威が無ければ、死滅していたのだ、というのもまたあり、大変難儀なところとなっています。
 ある型というのが何故生まれるか、といえば、それは当然それを見て分かり易く評価する為です。ある種の成長の為にする、というが武道の表看板ですから。
 だから道となる時、どうしてもお遊戯化、あるいはゲームかは避けて通れません。明確な確認点が必要になるのです。確かに最初は、そうではないのですが、そういう流れが地道にやっていくと積み重なって、形となり、そして権威になっていく。権威があるから生き残れている、という部分が結構大きく、そしてそれゆえにそれは、権威は肥大化していく、より強固なものになるのです。
 ダー様の言いたいことは、大体そういうことだと思っています。リボ武者の到達点としては、非常に真っ当なんですが、この考え方はプラウダの方にも援用出来たりもします。それはそれで尺があるので別の機会にまわしますが、ある形を如何に崩せるか、というのが、案外いつでも求められていることなんじゃないか、という部分は通奏低音、という感じであると考えています。

結局道ってどうするよ

 さておき。
 話が長くなって混乱があるでしょうが、私も混乱しています。書いているはしから思考がアップデートされると混乱するしかないです。でも基本は道です。道をどうするかです。
 色々考えた結果ですが、やはり道というのはあっても問題ないとは思うんです。一つの価値形態でありますから、あれば便利です。そういう便利さがゆえに生き残っている面もあるからですね。
 しかし、あえて言えば破壊しつくすだけだぁ。されるものでもある、という風に結論してきています。何せ、武道という概念がまだ2世紀程度の格しかない存在なのです。これはもうちょっと打倒されてもいいことではないか。つまり新しい価値観でまた変わっていく中で、道なのか、それとも術なのかが、生き残ればいい。
 あるいは、種を残して去るのすらもありではないか。種が残ったからって継続されるとは限らないのは、武の術がほぼ消えて道になったことからも明らかですが、それでも術は道へと道標を残したとも、種は残ったとも言えます。
 それが正しかったのかは、結局その過程の瞬間にいる私たちには分からないのですが、それでも残しておいて損はないのではないか、とも思います。
 だからと言って、全くそのままコピペでは、時代の動きでやはり飲み込まれるかもしれない。武術が、武士がいなくなって失われかけた、あるいは失われたように、何かあって順応できないガチガチのものが残ってしまっては、やはり途切れてしまう可能性がある。
 だからこそ、道には時折破壊をされるべきタイミングがあるのでは、という思考に到達する訳です。
 壊れ、治り、また壊れることで、冗長性というか、柔軟性というかを手に入れておくべきではないか。イダタツヒコ美女で野獣』でも、自分たちがいた痕跡を、その武術に残してもいいだろう、って話がありましたね。それ知らない人しかいないでしょうが。そういう風に、同じ形を維持するのではなく、融通無碍とする、そういう風にするべきだと、そう思う訳です。
 そういう意味において、ある意味二次創作においてダー様を強キャラにしてしまったリボ武者には、それを言う権利がある、と私は思います。
 ベタ的にもメタ的にも、ダー様の言葉は含蓄が深い。話においての戦車道というものをどうしていくのか、という部分と、原作付き漫画としてのリボ武者をどうしていくのか、という部分と、どちらでも意味合いがとれる、とでも言いましょうか。こ
 ういう、ある型を見直したり破壊したり、というのを、もっとやるべきなんだよ! という言葉ともとれます。
 それでいて、ちゃんとその道があることを否定し過ぎないのもいいです。


 一方で偉そうにふんぞり返るの大好きなの

権威って素敵よ
 一度味わったら病みつきになって手放せなくなる
 (同上:150ぺージ)

 権威は、でもあるといいものだ、という部分もおざなりにはしないのです。実際、この漫画におけるダー様の立ち位置というのがそれを表していて、内実はともかく、あの西住みほを二度倒した、という箔が、ダー様にはあります。
 それ故に権威として立ち回れている、という部分があるのです。リボ武者におけるプロモーターな感じも、その格があるからこそ出来たことでもあります。そりゃあ、権威もいい! って言いますわな。
 つまり、どっちなのよ!? ってなりそうなとこです。権威を否定するのか肯定するのか、という位置ですからね。しかし、そこはダー様。クレーバーです。
 権威はいつか覆る、という仄めかしをしてくるのです。そして、その権威とその覆しの合間のダイナミズムを楽しむ、という方法論を、さらっと提示してきます。これが、ダー様の戦車道、ということなのです。

――つまり
 混沌と秩序どちらがいいということではなく
その間で揺れ動く動的状態(ダイナミズム)を楽しめと?
 (同上:152ページ)

 これはオレンジペコさんの台詞な点はさておき、私個人の憶測とはいえ、道の混沌と秩序、破壊と再生が必要なのだ、という話に、決着するような気がします。
 道があること自体が悪いのではなく、それをただ無造作にすることが、ある種文化にとってよくないことなのだ、と言い換えてもいいでしょうが。
 そういう意味において、ガルパン、というかリボ武者とかプラウダとかはかなりそこに肉薄している作品なんだ、というが分かって、こうやって無駄語りしたのが無駄ではなかった、と勝手な憶測を飛ばせる気がします。これをサイドにさせて問題がないというガルパンの冗長性、あるいは柔軟性は本当に凄いとも言えます。
 結論としては、「ガルパンはいいぞ……」、となっても問題ない気がする。そう書いてこの項を強引に閉じたいと思います。

ちなみにリボ武者15巻の感想はこちら

hanhans.hatenablog.com

*1:『ガールズ&パンツァー リボンの武者』を皆読むといいです。 - オタわむれ 日々是戯言也blog

*2:そこでのローズヒップさんの、道に親でも殺されたんですの? は地味に至言でしたし、ダー様の反応も素晴らしかったです。ほんまあの頃嫌やったんやな。

 不定期な今日の『ゲーミングお嬢様』のワンワードから 第三十五回

この項について

 大@nani&吉緒もこもこ丸まさお『ゲーミングお嬢様』の言葉を針からドス竜-っ!なまでに開いてしまう感じでやっていく項となっています。
 最近完全にご無沙汰でしたが、ノリがアヌビス神のチャカしにくい状態だったので、静観という名のさぼりをしておりました。単行本も出る、という情報が既に確定的に明らかになっていることを鑑みて、そろそろブーストしていかないといけない。そしてあまりに座りがいいとこだったので、ここで終わるのか? と思ったらまだ続くみたいなので、その点もフィーバー! な気持ちに拍車をかけたのです。
 という話はさておき、それではいってみましょう。

第35回「DDRコン」

 DDRコンとは。コナミ音ゲーのシリーズの一つである、『Dance Dance Revolution』(以後DDR)の家庭用版の専用コントローラーのことです。
 家庭用の音ゲー移植には専用コントローラーというものがツキモノでした。アーケード音ゲーの始祖、『beatmania』から、その手のものはスタートします。そして現在でも新しい専用コントローラーは作られているくらいには、歴史はあるものでもあります。しかし、そんなのいるの? という方もおられるでしょう。
 確かに普通にコントローラーでも音ゲーは遊べはします。するのですが、音ゲーの面白さは筐体で叩いている時なのだ、というのが、普通のゲームコントローラーでやっていると、如実に表れてきます。それが面白くない訳ではない。が、それでも面白さの8割はその専用の筐体を叩いている時なのだ、と大悟させられるのです。この辺が、アーケードに音ゲーをしに行く人が商売が成り立つくらいの一定量いる理由の一つです。アーケードの筐体でやるからこそ生まれる楽しさ、というのがあるのです。
 しかし、なら家庭用をただのコントローラー捌きのままでいいと、コナミがするか、というと、しなかったがゆえに専用コントローラーの歴史が始まるのです.その始祖はやはり『beatmania』ですが、その流れの中で一時期大ブームだったDDRの専用も生まれてくるのです。
 DDRがいかなものか、というのはググれですが、簡単に言うと曲に乗りながら上下左右の矢印を足で踏んでいく音ゲーと言えるでしょう。わりと初期の音ゲーですが、叩いた時に曲の音が出ないタイプの初期のものでもあります。
 それはさておき、足で踏む、という段階で普通のゲームコントローラーとは相性が良くないのは、すぐわかっていただけると思います。プレイフィールが全然、本当に全然違うレベルで違います。そのせいもあって、コントローラープレイは虚無とまではいかないものの、何をしているんだろう、という気持ちになるものでした。なので、専用コントローラーはわりと必携のシリーズだったのです。
 では、そのコントローラーとは、ですが、これはマット状のものでした。古いことが分かる人なら、ファミリートレーナーと言えば通りが良いでしょう。分からないならググれ。とします。モノとしては親近というか、同じタイプのスタンドまであります。
 これには上下左右に矢印、そしてPS期だったのでそのボタンに相当する部分もあり、つまり真ん中以外の8方向に何かしらのボタン要素があった、というものでした。
 ここまでいったら勘のいい方なら分かると思いますが、そうです。普通のコントローラーとしても、このDDRコンは使えたのです。そうしないとゲームを始める時などにコントローラーを一回差し替えて、とか手間が発生するので、その部分を普通にコントローラーの物をつけることで回避したのです。
 これは、一部好事家にはうってつけでした。変則コントローラーでゲームを遊ぶ、という層に!
 変則コントローラーというのはファミコンのロボットみたいなのはありましたが、PS期に入ってハンドルのモノや釣りのロッド様のモノまで、多種多様な変則コントローラーが花咲きました。それらも、ゲームをする時に一々換えないでいいようにそのままでもゲーム始動を出来るようになっていました。
 それで、別ゲーを遊ぶというのが、面白くない訳ないだろ!
 ということで、変則コントローラーで遊ぶというのは、未だに勢力のある一派として存在します。あるいはWiiのような、その存在が変則コントローラーな正規コントローラーみたいなのまであり、コントローラーの世界は混迷を極めているのです。
 で、DDRコンの話ですが、今回の回ではそれで格ゲーを、という、変則コントローラー勢でもアイエッ!?クレイジー!? ってなるところです。確かに方向キーもボタンもある。HotBoxに比べれば、ある意味ではちゃんと十字キーを操っていると言えます。言えますじゃねえ。
 DDRコンで格ゲーが難しいのは、そも画面見れるの? とかもあるんですが、それ以上体力の消耗がヤバイ点にあります。足をバタバタするだけの通常のDDRでさえ、これでダイエットが出来るという、今でいう『リングフィットアドベンチャー』みたいな扱いすらされているくらいの運動強度があります。それを、格ゲーの動きをする為に動く、というのが如何に体力的に狂っているか。あの一々スペックがおかしい蹴子様ですら、普通でやろう。で締める辺りで察して頂きたい。人間の出来る事じゃあないんです! というかなんで普通にHitBoxを中心にしないんだ! 最高!
 とかなんとか書いて、久しぶりに頭おかしい回(婉曲表現)だったの嬉しかったりもした、熱い展開も好きだけど、やっぱこの漫画はトンチキの方が映えるな! な私がお送りしたとしておきます。

 シャドウバース日記 マスター目指してまずAへ の3

この項について

 シャドバ、グランプリ中ながらちまちまとランクマッチもしていた、というのを残しておこうという発想から、A目指す戦いのデッキを残しておこう。それについての思考も。ということでやっている項となります。
 それではいってみましょう。

第三回 またしてもアグロネクロ

 今回は、前回やったアグロのネクロマンサーデッキに更新があったので、カカッとそれを書いてしまいたいと思います。
 基本的に、前回のやつのマイナーチェンジといったところなので、まず前回のを見ていただけると理解が早いと思います。

シャドウバース日記 マスター目指してまずAへ の2 - オタわむれ 日々是戯言也blog

 と、しますが、アグロらしく顔を殴りに行くルートと<恨みの語り部>のバーンダメージで削るルートのあるデッキ、といったところです。そこにちまちまとした改定が入った、という形になっています。

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 こちらが改定したデッキです。マイナーチェンジですが、そこには色々と考えがあるのです。と考えているようなムーブを魅せつつ、入れ替えたカードの話をしていきます。

今回脱落したカード

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 <不可侵の死霊・ヘリオ>が脱落。この後に加入する<バトルキョンシーガール>との入れ替えです。ヘリオ自体はターン開始時から殴れるフォロワーを出す施策があり、それなりに悪くない一枚なのですが、やはりリアニメイト3でこいつが出ると微妙な気分になる、というので、ここはいじりたいと思っていたのです。次のローテ入れ替えで落ちちゃいますしね。そこを考えての一手です。まあバトキョンも次のローテでは落ちますが!

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 もう一種類、<《恋人》・ミルティオ>も抜いてみました。上振れは確かにあるし、進化出来れば結構な盤面処理力もあるんですが、こいつが進化可能になるまでには決着をつけたい、という意志力が発動しました。上振れの為に2枚葬送も密かに負担だったので、そこにメスを入れた格好です。手札をもりもり増やす施策が無いデッキなので、フォロワーを減らしてまで二枚語り部はありか? という所に行きついての結論です。5コストががら空きになりますが、別の施策で何とかしていく形となっています。

今回追加したカード

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 <バトルキョンシーガール>。ヘリオとの入れ替えをしたカード。リアニメイトで場に出ると進化する点、エンハンス5でリアニメイト3。そして進化時はラストワードで墓地足す4。そういう能力ですね。
 ミルティオが抜けた5コストの枠でも使えつつ、そこでリアニメイト3で語り部を出しながら、も可能。自身がリアニメイトで呼ばれても、進化からの攻撃も出来、ついでに墓地も4つ足す1つ肥やせると、案外盛っております。基本墓地数は気にしなくていいデッキですが、次に追加したカードの為に墓地は欲しい、というのもあり、かなりデッキの考えとマッチしていたりします。

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 そのカードが<トリニティモンスターズ>。7コストと重いものの、守護突進必殺にターン終了時相手顔2点にラストワードでランダム確定除去、更にネクロマンス15でもう一体を場に、と盛りに盛った一枚となっています。ナーフされてしまっている一枚ですが、今でも十分に使えるのでは? という発案でぶちこんでみました。
 特にネクロマンス15でもう一体、はかなり美味しい。基本墓地数は<ネクロインパルス>用という部分はありつつも、それ以外で使い道が無かったのですが、そこに新たに使い道を、という目算もして入れてみています。これの為のバトキョンまであります。

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 <死期を視る者・グレモリー>。ネクロマンスを発動した時、ネクロマンス分の墓地数とPPを回復するリーダー能力要員。墓地をガンガンに肥やせば自動で出てくる点が特に優れていて、トリモンのネクロマンスからの回復というのだけの為に入れているカードです。ピン刺しですが、刷るのがどうにも違う気がしましてね。強く使えたらもうちょっと考慮したいところですが、他を削るまでに至るか? というのは謎といったところです。

前回語れなかったカード

 前回は尺の都合でスルーしたカードについてもひとくさり。結局一枚になってしまいましたが。

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<
 <ゴールドラッシュゴースト>。こいつもバトキョンと同じくエンハンス5で使うフォロワーとして設定しております。<ゴースト>3体を場に出せるので、とりあえず顔への打点としても優秀で、更に進化時能力で様々な効果を出すリーダー能力を付与出来る点も5コスト相当とすれば中々よい、と判断しました。これで、このデッキの5コスト枠は埋まったと言って過言ではないのです。

適当にどう立ち回るかの話

 このデッキはアグロデッキ、つまり速攻系のデッキです。基本は早めにフォロワーを展開して、殴り勝つもの。1PP目から動けるといいですが、そうでなくても2コスト目から動ける形にはしたいので、マリガンでは2コスト優先で動くといいかと思います。あるいは3コストフォロワー<恨みの語り部>はあるなら握っていて損はないでしょう。3PP目に使えるので、最悪そこから巻き返すもありです。1コストと2コストのフォロワーで3割ほどあるので、まず3コストまで動けないこともそうないのがこのデッキの利点の一つです。
 このデッキの中では、<恨みの語り部>はかなりのキーカードです。これを強く使う、というのがこのデッキのもう一つの勝ち筋。あるいは、殴り勝つのと両輪としてもいいでしょう。<暗がりの悪霊>で殴り勝つことへの補助として<恨みの語り部>のバーンがあり、逆に<恨みの語り部>のバーンでフォロワーで削った相手にとどめを刺すこともある。このサイクルが上手く決められれば、問題なく勝てる。と思っていますが、まあ世の中そう簡単にはいきませんよ。
 とりあえず、このデッキで重要なのは<恨みの語り部>なので、これを上手く潰す必要があります。相手に消滅されては目も当てられないので、そこをケアする必要はあります。ただ消滅は数が少ないので、使ってくるクラスには気を付ければほぼ問題ないんですけれども。ビショップとウィッチ以外は大丈夫なので、それ以外は楽。ビショプ戦などでは、<金鉱のネクロマンサー>の破壊効果で出してすぐ破壊などの手段が必要となるでしょう。4コストの動きになるのが大変あれですが、背に腹は代えられません。
 さておき、大体ムーブが乗れば、案外5ターン辺りで決着も可能です。特に<暗がりの悪霊>に<機動二輪車>と進化のバフが乗れば後攻4ターンはいきなり8点飛ばせるとか無茶苦茶をやるので、それで一気に詰める、という流れになればかなりしめたものです。このデッキの最大の勝ち筋といえるでしょう。
 そんな感じでやっていく、というデッキとなっております。

動画もあるぜよ

www.nicovideo.jp

 一応リプレイにゆっくり音声で雑談いれつつ、の動画となります。ワタワタした感じですが、まあどう動いているか、と言うのは分かる動画にはなっているかと思います。
 それでは、今回はこの辺りで。

 まんがタイムきららキャラット三作感想(2021年1月号)

まんがタイムきららキャラット 2021年 01 月号 [雑誌]

この項について

 まんがタイムきららキャラットの感想は書きたい。だが全部は難しい。となった時、三作くらいなら? という妥協点を見つけてやっている項となっております。
 きらら4コマ誌で一番ヤバかったのも今は昔。他が突出しだしたせいで、あおりで地味なイメージなっている感もあります。頭おかしいのばかり求めているとそうもなろう。今は安定期なのです。そう考えていきたい今日この頃。
 さておき、それではいってみましょう。

黒田bbAチャンネル

 堂々の、そしてつつましやかな最終回。そういう言葉がよく似合う、いい最終回でした。それ以上に何か言う事はあるだろうか? というくらいに最終回としてきまっていた、そんな印象です。あの4人が、末永く仲良くやって欲しい。トオルンとミポリンとユタカも末永く仲良くあって欲しい。あと鬼頭先生は佐藤先生とちゃんとくっついて欲しい。そこを鎌手先生がねたんだりし欲しい。などと、して欲しいことが沢山湧いてくる、そんな読後感で、名残惜しさを感じたりするのでした。

あfろ『mono』

 そういえば、シネフォト部! ということで割と久しぶりにフォト関係の話に。なんか映像作品を、というのでPOVモキュメンタリー撮ればいいやん! となって、更に話題になるのが超久しぶりの幽霊部員にもスポットが当たる回でした。幽霊部員田島さん、あfろ漫画にしては貴重なおっぱいぷるんぷるん要素……! シネ部の方の人なので、モキュメンタリ-するならそれら映画見ないと! ってしてほくほくしてたのが可愛かったです。少々神出鬼没なとこも良し。そしておっぱいぷるんぷるん!

伊藤いづも『まちカドまぞく』

 那由多さんやべー! クローン丈が、相手になんねーっ! というくらいに、 那由多誰何さんが魔法少女のお仕事にしてはやり過ぎなくらいやっているという話でした。そうかー、さつってたかー。そして最終的にはお前が魔族っぽくなっとるぞ! だったのでどういう展開だったかは推して知るべしとさせていただきます。いや、これ出てきたらやべーやつ過ぎるというか、この漫画の盤面変わってしまうのでは?
 しかし、このノリは今までのこの漫画でも出してこなかった味わいなんですが、それでもこいつはやべー! ってのがきちりと押し出されている、ヤベー奴はヤベーが出来るという点は伊藤いづも研究の一助になる。そう思う吉宗であった。

 ネタバレ?感想 隆原ヒロタ:青木潤太郎 『また来てねシタミさん』1巻

また来てね シタミさん(1) (週刊少年マガジンコミックス)
また来てね シタミさん(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 大体の内容「ご当地殺法ご賞味あれ!」。ちょっと特別な観光旅行会社「ミミミ観光」。旅行予約のやり方も、ある番号に3分かけ続けていたら初めて、というもの。それは当然、まともな観光旅行会社ではありません。「ミミミ観光」、そこは暗殺を斡旋する、死への旅路という、ある意味では正しい観光会社なのでした。
 そこで暗殺業を営むのが、表紙の娘さん、シタミさん。彼女が、あちこちの県に行き、その土地にありふれてあるもので暗殺を行うのです。それも名付けてご当地殺法!
 ということでシタミさんがこの世の悪をご当地殺法で暗殺していく漫画。それが『また来てねシタミさん』なのです。
 シタミは暗殺者なので、当然バックボーンがありますがありません。暗殺者として精製されたという過去があり、それ以前の過去は、シタミさんの描いた絵しかない、ということです。
 子供を暗殺者にして、というやつなら定番ですが、そこに旅行成分を組み合わせる事により、その見た景色にいつか会えるのか、という部分が明確に立ち上がっているのが、と言うのと合わせてこの漫画の特色となっています。
 そう、旅行! この漫画の面白さは旅情と暗殺が絡まりあうことにあります。監視カメラのゆきとどいた今どきに! 暗殺者なんてやれるのかい! という部分は旅行成分からの暗殺の仕方、ご当地殺法に繋がっていきます。つまり、相手が殺された、とならなければ、当然監視カメラなどの精査も行われない。そして、そこにあっておかしい物でなければ、そもそもクソ悪いやつら。勝手に死んだんだろう、という風に処理される。そういう、今どきにあってこその、ご当地殺法なのです。
 当然、殺法として通じるのか? というやつはあります。1話目のシジミの殻で殺せるのか? 殺せるのか? 殺せるのか殺せるのかい! ってなるんですが、漫画としてのハッタリが完全に決まっていて、成程、殺れるのね。とするっと納得させられます。その辺りの手際は見事と言っていいでしょう。個人的には北海道回のあれは流石にギリギリアウトじゃねえか? とか思いましたが、ご当地ゆえに確かによく置いてあるんだろうなあ、というのもまた分かり、そこの振れ幅でクツクツと笑うばかりでした。
 この巻で一番ハッタリ力の効いた暗殺は、阿波踊りからの八極拳での暗殺でしょう。踊りの中に入り、その動きから自然と接近からの接触、そしててつざんこうめいた暗殺技! 様々な意味においてご当地殺法の振れ幅を感じさせるところです。そもそもいくらなんでもそれで殺せるのかよ! なんですが、相手は死んでいるので死ぬんだ……。という納得しかありませんでした。両義的にタツジン!
 さておき。
 シタミさんが組織で暗殺者として育てられたので、当然その絡みの話も出てきます。組織自体は何故か崩壊したらしいのですが、その残滓、作られた暗殺者たちは日本に散り散りになっている模様で、あるいは敵対者として相対します。北海道回のユキミさんとか、徳島回の某かとか。そこともまた火花を散らす形になるのだろうか。という感じですが、それならもうちょい長く続いてほしいもんだなあ、全部見たい。という感じには大きくバックボーンとして存在する場所であります。
 さておき。
 この漫画はどの辺りの系譜としてみるべきか問題というのが、私だけにあります。暗殺者の話、となればやはり必殺シリーズな訳ですが、そことはやはり現代であるという点で大きな相違があります。というか、江戸期みたいな頃よりも確実に楽に早く正確に、旅をすることが出来るからです。必殺シリーズにも股旅なタイプのシリーズもありますが、これらはある程度先にどの辺りを通っていくか、つまりある旅の中で暗殺を行い、また旅を続ける訳です。それに対して、現代はちょっと遠くても日帰りすら可能な時代です。なのである場所を求めて色んな所に、も可能になる訳です。
 それが可能になったがゆえにこの漫画は成り立つ、と考えると中々面白いのです。それも色んな県に行くから、色んな観光をするし、食べ歩きもします。ある意味観光案内みたいな側面もあります。昔以上に観光というのがやりやすいからこそ出来る仕手ですね。ついでに、食べ歩きするのはたぶん相棒のカザミさんに美味しかったものを、という部分もあるんだろうなあ、というと若干のキマシ塔も建立されるのもよいです。シタカザ、ありですわよ。
 さておき。
 それであっても、暗殺方法がトンチキになるのが楽しい所です。やはり1話目のシジミの段階からトンチキ具合が凄く、それで殺れる、んだあ……。となるのですが、それ以降もやり方はトンチキというか、殺れる、んだあ……。ってなっていくのがいいです。そこの説得力は相当高いので、トンチキな殺しが見たい方には大変お薦めなのですが、自分みたいな、そういうタイプの人がいるのかどうかというと謎なのが難でしょうか。この殺ったから殺った! 感は見事なので、好き者は寄って集っていただきたい所です。
 さておき、次の巻ではどんなトンチキ暗殺が為されるのか、あるいはバトる展開になるのか。そこを含めて楽しみな一作であります。出来ればネタ切れで四苦八苦するくらい長く続いてほしい。案外ネタは切れないかもしれませんが。
 とかなんとか。

 ネタバレ?感想 浜田よしかづ 『つぐもも』26巻

つぐもも : 26 (アクションコミックス)
つぐもも : 26 (アクションコミックス)

 大体の内容「色々明かされてるけど、エロが記憶に残り過ぎ問題」。今回の巻は、お話的にもキャラ的にも色々明かされるのを主とした巻ですが、とりあえずエロしよう。という浜かづ屋の自己バフ的サービス精神が炸裂しまくり、ほぼ全話裸があった、というよくよく考えて今までになかった、わりとスゴイ巻となっております。
 それを象徴するのは、開幕のあるみさん回。基本的に閑話な回なのですが、その一ページ目からあるみさんがG行為をしている、という絵で始まる為、シマコー顔で「これはえらいことになったぞ……」と戦慄を覚えるしかない状態です。
 その上で、その回でアレな事実が開陳されます。あるみさんがみまねさんにあきとさんの姿をさせておせっせ、入れてないという注釈が入るレベルでやっているというのです。それも日に二回! もうゲラゲラ笑うしかないところであります。ついでに、あきとさんが相性のいい、勿論使われる点についてですよ? 相手を見つけて、というので、更に激しくなっていくというアレっぷり。
 もうこの段階で頭痛い、笑い過ぎてのですが、その上で、みまねにいつものように、としたらそれがあきと本人で、という展開までぶちこまれます。そこでのあるみさんのがっつき具合がマジのおせっせをかますことで表されている、というので再度頭が痛くなる案件でした。もうここまでやっておいて、好きであるというのを明かさないのは無理なのでは? という状況でした。もう流石に気づかれてるだろ、これ。
 さておき、このあるみさん暴走回には、もう一つ副産物があります。というのが、みまねさんが響華さんも、かずやの姿にあるみさんをして、おせっせしている、ということが暴露されるのです。響華さん!?
 再登場からの展開で、かずやにメロメロになったらどうなるんだろう、という危惧というか心待ちというか、そういうのは確かにありました。ツンデレが転じてすげーことになるぜ……? って思ってましたが、ツンデレのせいで予想以上にねじくれてメロメロが発現してしまっていて、なんでそういうネタだけ思い切りがいいの!? という、ツンデレの新境地を開拓してしまっています。そんなにないぱいでずりまでやっている、というので、複数の意味で浜かづ屋、パねえな! という気持ちが出てくるのもしょうがないと思っていただきたい。ちょっと頭おかしいですねえ……?
 そんなパない話だけで、この巻が終わらないのがこの漫画の複数の意味で凄い所です。普通の漫画なら、この印象だけでこの巻の感想として終えられるのですが、まだまだ驚愕の話を様々にぶちこんできます。大体三つありますので、縷々綴っていきたいと思います。
 一つ目は、くくりさんが復活できるかもしれない、という今まで少し出た情報が更新されたことです。肉体の方は修復が済み、元の姿になっているのですが、精神、魂と言った方がいいでしょうか、それが黄泉の国に行ってしまって戻ってこない、というのです。これに対して、かずやと桐葉さんが迎えに行く、という形で黄泉編を次の巻からスタート、という形になりました。まだ戻ってこれるはずだけど、何故帰ってこないのか、とか色々とネタがありそうなので、期待大の展開です。
 二つ目。酒徳利の付喪神、そそぐさんの色々が明らかにされました。付喪神としての能力から、そのエロボディまで、全てが詳らかに魅せられるのです。その中でも、バフデバフ及び回復職が如何に必要か、というのをまざまざと見せつけた、後に、バフの副作用でかずやが、あの自制心の塊だったかずやのタガが外れて、純粋にエロスの塊となってしまうのです。それだけで副作用すご!! と読者側が戦くレベルです。これ、デバフもしかして強過ぎるのでは? 案件まであります。デバフの後に副作用、と考えると、もしやそそぐさんが一番刺さるのでは? あ・・・? あ・・・?
 さておき、三つ目。斑井が生きていました。それも、幼女の姿になって! という二重の意味ではてな?な展開が今回はぶちこまれています。あそこで、殺してくれ、となって殺された、などと、その気になっていた俺の姿はお笑いだったぜ。これはわりとほの暗いなあ!? ってなったとこがこのような、しかも生きているっても幼女の姿に、というので、浜かづ屋おっかねえ……。浜かづ屋信用できねえ!
 とはいえ、実際の所斑井はやったことは外道とはいえ、その思想、きっちりと理論的に付喪神を扱うという部分は否定できない部分ではありました。そこがやはり必要になるだろう、という浜田よしかづ先生の目論見は頷けるものがあります。その上で、能力ブースト中に見た三年後の世界にならないように、動こうとしている、というのもあって、こんな形で斑井を活かすとは! と落鱗するしかないものがありました。
 その上で、斑井を金山様のとこに出向させて、という展開が更に凝っています。それは勿論、エロ方面で! と言う事で、ロリ好きの金山様優位のエロと、実際はおっさんの幼女が大人のお姉さんを責めるというエロの二面を可能! というのを実際に提示してくるから、浜田よしかづ先生はすげえ……。そこまでのエロに対してセンシティブ! 一生どこへでも、ついていきます!
 ということで、黄泉編へのプレをしつつ、様々に見せ場、そしてエロ場のあるのが、『つぐもも』26巻なのです。